ainomiya999’s blog

なるべく時の話題について話せたらとおもっています。

大戦を仕掛ける者たち。

ウクライナ大統領選挙も関係して現地の情勢が騒がしくなってきているようだ。

 

ウクライナ(中国)から問題を起こし、世界戦争の開戦の世論と世情をつくろうとしているものたちがいる。

 

米国とイスラエル、及び国際金融支配宗教民族と欧州諸国の資本主義諸国は、その自らの資本の本性(資本の本質的性質)が戦争をしたがってるのであり、その手先報道である世界と日本マスコミは事実の流れと文脈を編集して、戦争緊張の虚構を生み出している。

 

世界資本主義は、戦争を起こししないと今以上に利益(投資資本)を拡大することができない。

 

世界各国資本は、自国労働賃金を上げるわけにもいかないし、労働者は金がなく買えないから、商品生産も再開できないし、

 

仕方なく株など証券市場がら利益をかすめ取ってお茶を濁してきても、資本利潤・利益を出すことはできない飽和・不況状態(手も足も出せないダルマ状態)は変わらず、

 

ここで一発小規模か大規模か、小競り合いか戦争と核爆発ででも、地域社会や国を壊して、世界再建設(生産の再開)しないと、資本主義の延命はない。

 

それは第一次2次大戦と同じように。

だから世界を騒がせ、動揺と混乱、ドサクサを起こさせ、小競り合い戦争を進めつつ、流行病でも人口を減らしたし、戦争でさらに減らしつつ、グレートリセットを進めようとしている。

 

このょうな情勢にさせられているのだから、戦争をやめさせるのは、戦争とグレートリセットを計画し策略(陰謀)している少数者に、それを断念させることだ。

 

よってトランプ、プーチン、習が共同して、それを声明し、少数者にそれを伝え言うことだ。

 

彼らの情報を各国の専門部署に集めさせ、小者から中堅、大者、裏の本人たちに、『お話』すれば済むことだろう。

 

世界国民は世界戦争をやらせないよう、マスコミの扇情に乗らないよう、浮足立だたないよう、恐怖に動揺させられず、動乱させられず、ドサクサにならず、小競り合いをせず、戦争をせず、核兵器を使わせず、グレートリセットを拒否することだ。

 

浮足立ち小競り合い戦争をしても、金には成らず生活の足しにもならない。

電網で騒がないように、互いに動揺させ合わないようにしましょう。

 

何より上のような、世界状況となっている原因とが本質を広めて、知らせていくことが大切だろう。

 

お手上げ。賢いと信じ込んでいるバカには勝てない。人類は諦めるしかない。

 

『知る事から始めよう』。。。。ということについて

 

分かったような解らないような、親切で、優しく、丁寧な、ヒューマニスティックな、知的な、当を得た、ものの言い方なのだが。

 

 https://m.facebook.com/watch/?v=477521177222868&extid=NS-UNK-UNK-UNK-IOS_GK0T-GK1C&ref=sharing

 

「知ることから始めよう」 と気付いたこと は大切な第一歩。

その次に気付かなけれなならない事は、人 は目が開いているのに、 「何故見ないの か」ということです。

 

知ろうと思っても、知ることができない原因がそこにあるのですから、その原因を知ることが先決です。

 

見て知るのか、触って知るのか、味わって知るのか、匂いで知るのか、聴覚で聞こえて知るのか、思考する力で、知ることができるのか?

 

その事に気付いた古代ギリシャ人は、その 解決方法を求めて、 その原因を追求し始め ました。

『汝自身を知れ』という言葉を人類全体の財産として残しました。貴方の財産でもあります。『無知の智』という箴言もあります。

 

知ろうと思っても、知ることができない原因と解決方法は、古代ギリシャやインドヒンドゥーから現代まで発見されてないのでしょうか?

 

現代人(世界中の大半)はそれを知らないよ うに、洗脳されいるのです。 「知る事から始めましょう」 等と言ってる事が以下に無意味か、 何も言ってないこと に等しいか、 倒錯が甚だしいのではないで しょうか?

 

よもや、 世界支配勢力の洗脳勢力ではない でしょうね。

 

仏陀も忠告しています。 「盲人にコレが象というものだと触らせる と、尻尾に触った盲人は、 蛇みたいな長く 大きな生き物が象だと信じ込む」という警句です。

これはものが見えないことの警句でもありますが、さらにだからこそ細部の知識を教えることの欺瞞について の、警句でもあります。

 

 

人間とその社会と世界(それら一斉)を知らない生半解な 知識人たちが、その専門知識の細部知識を ひけらかすので、 この世界はスッカリ崩壊寸前にまで追い込まれてしまいました。

 

無知な学者専門家は、仏陀やキリストなどの教えを学び勉強するべきです。

生半解な学者専門家は、賢人達の学問としての哲学(再度警示せざるを得ないが、現代の専門家としての哲学・者のことではない。)の教を学ぶべきです。

 

倒錯した良心親切心の押し売りはいい加減にしてもらいたい。

 

子供たちの命が幾つあろうと足りない、もう殺さないでくれとお願いしたい。

 

真に心から、お願い致します。

 

文化文明崩壊の過程現象 芸術論メモ

芸術論メモ 

 

動画【フェルメール修復事件】現れたキューピッド!あなたは納得?それとも激怒?!【窓辺で手紙を読む女】を観ての感想。

 

 

この動画で紹介されてるフェルメールの作品の本当の絵面は知らなかった。またそれが最近明かされた事件も知らなかったが、動画解説を見ると割と重要なテーマが隠れているようだ。

 

 

まずは感慨として、歴史の隠蔽とその露見の必然性がここでも実証されて、史実は再判定を望み正当な歴史裁定が下るまで、問い続けるということを痛感した。

 

 

動画を見て絵描きの視点で感じるのは、当該作品の塗りつぶし事件は、欧州にジャポニズムの影響が反映して、起こされたのではないだろうか?ということになる。

 

 

そのジャポニズムの影響と特徴の一つには、日本版画にある絵画意識とその美意識には、画面の余白に意味を持たせることもふくまれていることが上げられる。

 

 

日本版画ならではの特徴として普通に指摘されているのは、色面による絵作りの原理となってる画面構成、構図、空間表現などが様々語られていて、有名な技法のことになる。

 

さらにそのような原理を用いる、そのもう一段奥にある版画絵の美意識の価値観としてあるのが、その「空白」「余白」に相対的意味性があること、あるいは作家(版画は集団創作だが)が意味をもたせていること、その事についてはあまり知られていない。

 

 

その一方の欧州絵画のその欧州は、地続きの国家と民族の地理的な歴史と伝統があり、欧州諸民族国民の気質として、見えない先に何があるかを常に意識している習性があり、隣国に知らない事件や異変や事柄があると、通商経済宗教文化などの争いごとや戦争が起こるので、それら隣国への警戒感が常にあることになる。

 

 

こうした地理的自然条件に規定されてある欧州諸国民の習慣的意識には、美術作品においては「何も無い」余白への不安感や、不信感や警戒心、恐れといった意識として反映され、何代にも渡って残こされて定着意識となっている。

 

いわば余白恐怖症といえる、意識と感性が欧州諸民族にある。

 

 

ジャポニズムは、その欧州民族と絵画に余白恐怖症があり、それは絵画の美意識にとっては、洗練されていない(野暮ったい)意識として反映されていることを気付かせることになった。

 

 

こうして余白には、図象学的な意味として美意識と均整感と緊張感、統一感などがあることを知り、そのことで人類史的な美意識が、近代的に発展させる契機となってきている。

 

 

(総対・相対関係の弁証法的関連性、輪廻転生性などのアジア的弁証法的意識の反映が日本にも根付いていた)

 

 

したがって動画の「塗りつぶし」によって、数多ある市中のありのままを写し撮る報道的風俗画的作品のうちから、芸術史的作品に高められて姿を変えた、事件となったのではないだろうか。

 

シャルダンは比較的整然とした作風で、渾然とした「あるがママ風俗絵画」とはやや異なる。他にもあるかも知れないが)

 

 

そのことの諸関係と歴史検証などは美術研究家・評論家の山田さんが論文を書いて、人類美意識の発展方向と内容を論評実証するべきかもしれない。

 

 

こん回のスキャンダルを契機にして、意味ある余白《空白空間》問題は、リアリズム論の
そのママ論 、本当本物らしく論、それらを超えるモノ論の整理、文芸界にある写生論にも関係し議論を整理するものになるでしょう。

 

さらに印象派からカンデンスキーの画面分割・色面構成主義にも通じていく美意識の発展および進捗としても、意義ある解明となるのではないでしょうか。

 

現在の私達創作者が絵画美意識と芸術性の変遷と発展を、正しく位置づけていく上で注意するべき点は、近代資本主義とその発展が人間性疎外の極限をもたらし、人間性(美意識愛情などを持つ)とその個性(人格の跛行性と陶冶性、未完性、破綻性など)性を分解=崩壊させてきていることにあるでしょう。

 

 

それを反映させた代表的作家としてフランシスベーコンの人間融解があげられ、さらにそこから現在は数多の無・無情・無限・漂白・俗化作品を多様に生み、

絵画の近代大衆化による芸術の無意味化へと向かわせたている点も崩壊過程として上げられるだろう。

それらの崩壊的現象と美意識《芸術の普遍の価値》の矛盾関係を明示しなければ、『現代絵画論』としては不足が出ることに、注意する必要があるでしょう。

 

これが無いと、まさに近現代美術的現象をアレコレと書き記す「価値観なき羅列」にしてしまい、風俗をそのまま書き留める事実(レアリズム)主義、悪しき客観主義、無意味化になり、文化崩壊に進ませるものとなるでしょう。

 

 

フェルメール修復事件】現れたキューピッド!あなたは納得?それとも激怒?!【窓辺で手紙を読む女】2021/11/19

https://www.youtube.com/watch?v=jiK_WNGAuN8

現代の狂人が生まれる根本原理。

現代の狂人が生まれる根本原理。

唯物論と観念論の7千年闘争は、160年前ぐらいに観念論が敗北して、決着がついている。



哲学は、思考をすすめるにあたって人間の意識観念を優位に置くか、世界と人間の物質を優位に置くかで、哲学二分する哲学の根本問題といわれるものがある。

(この点が多くの人には、何を言ってるのか意味がわからない、哲学の最初の難問となっていますので、少し説明します。
多少の間違いを含みますが、あえて分り易く簡単に話せば、私達が考えを始めるとき、その考えは何処から生まれるのかとか、その考えは正しいのか、間違いではないのか、などと考えると、それは誰れそれ先生の考えを勉強したから、それを理解できる知識があったので、考えることができるのだ。そう考えるのを観念論といいます。

それに対して、頭脳という物体があるから、その脳の高度な有機的能動的活動によって、考えるという活動がなりたっているのだ。考えることができるのだと考えるのが唯物論と言われる哲学になります。

あるいはまた、原始的猿から人間になるまでに考え始めたときに、目の前に諸々の物(物質とその世界)があることでそれを題材にして、思考活動が始まったのだというのが唯物論といいます。
反対にいくら諸々の物質(世界)があっても、それと気付いたり意識したり認識できなければ、思考活動はできない。という具合に、先に意識や観念があるからこそ、対象を知り、思考ができるのだ(意識世界)という観念論哲学があります。
ようは、そのようなときに物質を優先的に位置づけるのが唯物論というものになります。その反対に意識や観念などを優先的に位置づけるのが、観念論というものになります。)


それは例えば
「人間のわたしとは一体何なのか。世界がなければ、本当のあなたを知ることはできない。
世界にあなたのすべてを投影している。世界はあなたを教えてくれる師であり鏡だ。」
という文章がある。


そのなかで「世界にあなたのすべてを投影している。」というところが
唯物論では「世界が、あなたの全てに投影されている。」となります。
またそれを承認した上で「世界にあなたのすべてを投影している。」とも応えることができます。


過去に生きていた個人や現代に生きている個人だとか、全ての個人の意識とは別にある世界は、誰がどのように考えても、それとはまったく関係なく独自の原理で動いて、物質世界が存在しています。

それは超先端物理学者がどのように推論(意識し思考・観念)しようが、それとはまったく関係しないで歴然として存在します。


だから賢い人はその分だけ、世界などがその意識に反映されて、その賢さの限度以上には反映されません。
(*)凡人はそれなりの凡人認識の凡人スペース分だけ間違いだらけで脳に(意識)反映されます。

このような個人別能力の偏りが「個性」であって、様々な評価基準項目がある分の各項目も各自の分だけの固有の優劣が違っていて、それら全体で個性となっている。
それが「ワタクシ性・私性」です。


つまり自分を知りたかったら、自分の家族、日本の社会、国、他の国々、自然と宇宙の「哲学的意味の世界のこと」を観て、自分(と世界)の偏り(無知)を知らないとわかりません。

つまり自分固有の無知を知るということは、対象の正解等を知らないければ自分が何を知らなかったのかは理解されず、自分の無知は訂正されません。
そこで無数の知と、その無知があること(その原理)を知った賢人が「無知の知」を発見したのです。

この知る(認識論・反映論・観念論・真理論)思惟活動を正しく行うためには、人類全体として、「より正しい歴史学の建設」が不可欠であるあることを知った古代哲学者たちがその研究活動を始め、ヘーゲル精神現象学(様々な意識と精神の現象があるうちの。歴史という意識精神哲学)が古代弁証法を復活させた歴史「変遷」の原理を解明して、さらにそれを唯物論者が学びなおして、史的弁証法唯物論に再編集させ哲学体系にしたのです。

n現代はその上にあります。

よって歴史学の現代的知(*)歴史の大道の流れや筋を解明し、その大きな筋道が進んでいる方向の延長線を想定(観念的意識活動)して科学的論理学的に未来、人間・社会・国・世界各国・世界を証明したのです。

こうして人類の過去・現在・未来が見渡せる知的体系の歴史学が完成できたのです。

これは偉大な発見と発明だったのです。

分かり易くいえば、私達が今現在歩みを進めているのは何処に向かうか事前に知っているから、今歩けるのです。それを知らないで無目的に歩いていて何になります?。

1メートル円上を歩いていて、をの意味を考えてもいいし、考えなくてもいいし、歩きたい人は歩いていればいいのです。他人がとやかく言うべきではありません。親切心で「無駄なことですよ」と教えてあげても、人間は無知だし強情なので、「さも教えてアゲテルという上から目線」だとか「ウルセッ‼このやろう」とぶん殴られても何も抗弁できません。
いらぬお節介なのですから。
犬でも鎖に繋がれて、1メートル円周を一日歩いても平気です。犬の日常ですから、人間だって全ての人間をそのような存在だと訓練すれば、それに慣れます。何十年、何百年も。

人々は日常がそうであるように、歴史を歩きたどり着く目的地を知って、歩くことができるようになったのです。

現代はその歴史の道筋上にあります。

しかし確かに、安倍首相一味のように明治初期「皇軍軍国主義」の円周に戻って、国民は昔のように飼い主の命令に従って「ぐるぐる周りをしろ」と言わんばかりの人もいるのです。それに賛成の人も多くいる事実があります。


話を戻して、さてマルクス歴史学ヘーゲルのような「思想活動による正解等」ではなく、人類の食生活のための生産活動(経済学的物証性)の発展史として生産物の「証拠」を示したので、人類の生産活動が発展を続けるから資本主義・社会主義共産主義の共同体形式(様式)ができてくると過去から未来を示したのです。

それを哲学的、経済学的、歴史学的、制度が変遷する革命論として証拠をあげてるのですから、それ以降の学術界では、これを新しい全体理論証拠を上げて訂正するように研究を進める新理論は生まれません。


(『資本論』も経済学《だけの》の書籍ではありません。哲学書《だけの》ものでもありません、歴史学書《だけの》ものでもありません、革命論の書《だけの》ものでもありません。だから経済学者(他の哲学者・歴史学者・革命論・法学・教育学などの研究者)が読んでも意味がわからない(わかりづらい)のです。


マルクスヘーゲルが示した道を進み、より正しい学研の道を行っているのです。


またヘーゲルは人類観念論を完成させた超人ですが、当時の欧州王侯貴族教界は最初はヘーゲル哲学は神とキリスト教を認めた観念論の偉業だとして讃えていましたが、やがて理解が進みそれが弁証法であり国家が変わるのだと証明していることに気付き始め、一斉に無視するように公認された哲学となりました。
こうして支配階級の敵の学説だと烙印をおされたのです。


それを受け継いだマルクスも王侯貴族教界+資本家階級=支配者階級の敵となりました。ですから資本主義の現代では、世界資本主義が世界司令を出して、ヘーゲルマルクスは無視と攻撃を受けることになったのです。
しかしその命令は無力で、仲間内の社会国民]にしか影響しない愚痴と決めつけ、洗脳、禁忌となっていて、客観的に存在する人類学術史からするとなんの意味も価値もないものな
のです。
それは馬鹿げた無駄であることも言うに及ばないことなのです。

現代資本主義に奉仕する観念論哲学は、古代から続いてきましたが、フェイルバッハの唯物論ヘーゲル学徒の弁証法)から、より完全にしたマルクス弁証法唯物論によって、観念論は敗北しその息の根を止められれしまい、存在意義をまったく無くされ亡霊化してしまったのです。

しかし意識界には(*)の原理がありますので、哲学の意義価値を知らない人は、虚構空間(自分の観念界)に生きていても気づきません。その活動の一切が無駄であり、その自分が創った物的生産物にしか価値を添加できない、隷従的命(私し性)でしかないことをしりません。
ようは狂人化していても気が付きません。気付いても人間個人の生得的認識障害の無知
と捻くれ強情という性質と性格から、かえって旧来の自分を固持して自己改革をしません。それは建前の号令で「自己改革」を言ってやってるつもりにしているだけです。

こうして狂人が溜まり広がる社会と世界になっているのです。

「自然破壊を食い止めなければならない」「人間自身が行いを改めなければならない」とか今日も新聞や電網で号令号砲が飛び交い反省のこもごもが繰り返されています。
明日も、来年も。


衝動として、アドリブで書いたので間違いがあると思います。後日添削します。2021,11,14

社会進歩(国や人類進歩)を妨げてる、無知ができる構造。マスコミには勝てない。

社会進歩(国や人類進歩)を妨げてる、無知ができる構造。マスコミには勝てない。





社会進歩(国や人類進歩)を妨げてる、無知ができる構造。            マスコミには勝てない。

但し書き

下に案内する動画は、社会現象の実例として上げるもので、悪質な非難や口撃などの他意はありません。




本 題

世界の進歩を妨げているのは、世界支配者(機構)の活動と、それによって諸国民が無知な状態に置かれていることによります。その一方では、支配者層の利益目的を実現することに直結する、自然科学理科系の知識のほうは国民への注入教育を進めています。

こうして社会科学に無知な労働者国民が作られ、どんな過酷な労働もおこなうような人格にされ、安月給でも従順したがうように教育(悪い意味では洗脳)されてきました。またその一方自然理化学は教育されて、生産技術は急激に進むようにもなり、多種多様な生産物が大量に作られようになりますた。
しかし労働者は安月給でも従順に忍従するだけですから、社会全体の勤労者消費経済力が最低限度に落ち込んで、あまたの生産商品が売れない、儲からない、という飽和状態に陥った社会国家になってしまいました。




そこで特に現在問題になっているキーワードが、「社会主義」ということになっているのです。



この言葉が使われてきたのには、それなりの理由が有り歴史が有ります。

そうして人類史的現代では、今や社会科学の概念とし確定していてこれに変わる言葉はありませんし、この言葉が示す意味内容に代わるものもありません。



まったくこれに酷似するかのような別な意味概念のもの(キリスト教社会主義だとか)はあるかもしれませんが、おそらく社会科学の概念としては力をもたないでしょう。

ですから社会科学の言葉として「社会主義」を使わないで、昔っからある意味概念が不明な沢山の「社会主義」を使う人たちがいることになっていす。



世界と日本のマスコミがいう「社会主義」も社会科学的な意味とはまったく別なものです。



下の動画主さんもどのような意味で使っているのか不明ですが、またその言葉をここで聞く方たちもドウ解釈しているのか不明ですが、社会科学の社会主義は、純粋な経済学的分析理論によって資本主義経済と社会が進んで行くと、必ず社会主義の経済世界が作られていく方向に進み、社会主義経済システム・制度の国ができていくと論証されているものです。



ですから、その科学的に経済分析と生産産業の必然の理論の誤りを指摘し、社会主義ではなく別な経済システムができるという「別社会成立理論」(〇〇社会制度、社会、国家論)は一つもありません。



もちろんこのような学問は、どの学問一般でも同じように研究者各自の脳の賢さやバカさ加減でその理論水準はピンキリですから、それぞれ主観勝手な「理論」とその「書籍」などは多数ありえますが、いくら多種多様多数あっても世界的学問とか人類的学問としては相手にされません。



マスコミは学問活動とは別に、面白可笑しく本を売って儲けたいとかの別な経営目的があるので、面白理論を相手にして社会に沢山売り流行らせ儲けえることでしょう。

こうして現在のように「社会主義」という言葉の意味内容と概念が、発言者も聞き手の方も各自勝手な解釈と思い込みで行われ、しかし正式学術的な意味概念を理解していないという「諸国民が無知な状態に置かれる」ことになっているのです。




紹介動画

日本が社会主義国になる!?☆必ず来る食糧危機の話☆アメリカ・カナダは高騰中!!☆ガソリンもさらに高くなる!☆マジだぜ!もうやってらんない!☆ハイパーインフレに備えよう!!
https://www.youtube.com/watch?v=5QpMqqFKkao








補足

いま世界的問題として、米国が2大勢力(表面的には)に別れ次代を決める大闘争が進行していて、物流がその闘いの攻防の場になっている問題があります。日本のガソリンの高騰もその余波を受けてあるものです。

日本が世界政治や経済に影響を与える力や性質がないため、2大勢力の闘いの食糧危機と物価高騰、ハイパーインフレを巡る攻防の影響をうけないで済んでいるようです。

次代社会制度の創造をめぐる闘争が「グレートリセット」なるものの内容を決めるものであり、両者とも労働国民の「社会主義」的生活保証を唱えているようですが、その質(やっと生きられる最低収入(分配)なのか、人間的に生き文化的生活ができるような生活保証水準なのか)が、その「社会主義」の意味概念の正誤をしめすことになります。

資本主義の生産力が十分に発展して生産物資(生活諸資料=生活必需品・生活便益品ー贅沢品なども含まれること)が大量に作られ、社会的国家的物資が飽和状態(今の状況)になり、国民に無料配布・分配出来て、社会全体が僅かな勤労時間で維持発展できる条件(生産工場・現場の機械化、ロボット化、農漁業生産技術の発展など)があり、文化的芸術的創造や感受鑑賞などができる状態(意識知性)も保証される条件のこと。

条件が保証されてる状態を「社会主義生活様式」「社会主義的生産様式」「社会主義的社会様式」「社会主義的国家様式=制度」とかいうことになる。

ところがグレートリセットを推進する中心勢力は、「湯田やおしえ」原理主義の「神に選ばれし民として、国土(世界国民)を支配する神の王国を実現する」ものとして、支配される側を愚民野蛮人として想定する新世界なのです。(ローゼン◯ール〇書参照)

(この古代宗教成立した時代は、多くの人々は光があるうち働くだけの存在・余暇時間もない・文盲で物資の紙も筆記具も少ない・学問も独立して存在しない・学校教育制度もない・電気もない=愚民野蛮な民衆となる時代の宗教。
また現代であっても人間には生来の認識欠陥があるので、社会支配者の愚民化策により愚民化を進めこともできるし、野蛮人化させることができる=実際に戦争で非人道的猟奇的野蛮行為をさせるようにもできている。)

天皇替え玉論
https://www.youtube.com/watch?v=lQK21jPcTOg

若い人の保守性(江戸時代かよ!)にはお先真っ暗。

天皇と家族はやがて(百年ぐらい)人権を獲得して、普通の人になる定めになるんだよ。

こうやって騒いでいる◯◯や保守思想とその洗脳から抜け出せない人々が騒ぐから、特権的非人間的「天皇」と家族が続いているだけで、彼らはさいしょっから神的能力や超人的能力だとか持っている特権的対象ではないんだよ。

普通の人間なんだよ。
人権を認めてあげろよ。

とうとう精神が病んでしまった人間もでてきたじゃないか。反省しろよ。

なんだよ歳だけ若くて、頭の中は民主主義(人権自由思想など)以前の状態。

不条理の日本を作っているのはそういう「変われない」人々がいるからだ。


よい日本をつくるのには、年寄りが先に死ぬより、そういう人たちが先に居なくなり、世代交代ではなく人口交代が進まないと日本はかえられない。

保守洗脳の効果はすごいものだよね。

いっくらいってもそういう人たちは、自分では「人々の自覚を」いいながら「自分は変える自覚はない」んだろうな。

気付きを求めている動画主さん、また鑑賞者のみなさんにもご一考ねがいます。事実や真実は、我々がまず変わらないと理解できない。なぜか、ここにしめしました。 https://note.com/y1117259k/n/n5044e355dbe9  
のーとに入れなければ https://ainomiya999.hatenablog.com/へ。                      
そっらで示した真理には反論できない。自分の知識と知性の濁りや透明性を確認してみよう。
こういう書き込みは禁止されてるのかな?

狂気の世界に知性の復興を。

狂気の世界。知性の復興を。
遺伝子組み換え生物を、各自勝手に操作製造していいのか?
知性の崩壊が進んでいる。

狂気の世界。知性の復興を。
遺伝子組み換え生物を、各自勝手に操作製造していいのか?
知性の崩壊が進んでいる。

下に案内する記事のように、利潤追求を第一目標にする1企業が、様々な理屈を付けて遺伝子組み換えや再生することを、なし崩し的に許容していいのだろうか?
早急に国連を民主主義化して、バイオテクノロジー(ウイルス研究・ウイルス製造・イナゴなどの農業食害虫や植生ウイルスなどの経済・戦争戦略的開発なども)の国際的監視管理機関を作るべきだ。
現在の国連常任理事国は、20世紀の戦争の歴史の流れで「民主主義」を政治的に掲げた勝者と強者が、「王権神授説」のように自ら権力でその席を勝手に奪ったものだろう。
これまで国連全体を操作してきながら、核兵器廃絶や戦争と紛争の抑止、それによる飢餓や政情不安を止められずに、さらに大国の経済政策的歪みを正せず、とうとう地球危機をもたらした責任がある。
その重大責任を自覚して、早急に解散するべきで、その席に居座る客観的世界的な根拠はなく、それを示せないだろう。


なおそのことは別にしても、現在世界と地球的人類史的課題は、

第一にこれまでの資本主義世界制度を改善と改革して制度的変換をしていかざるを得ない。

第二に、地球的自然破壊のCO2”や森林伐採、埋蔵地下資源、海底埋蔵資源、海洋資源、農業の植民地主義的世界的分業制度の抑止(アフリカ諸国の農業基盤の未確立など)と解決の課題

第三に、国際通貨新体制(民主化された国連による)の確立させること。金本位制ビットコインの採用。その為替市場組み込みの禁止。これらの措置で民主的国連の監視管理統制を図るべき。

第四に、飢餓の救済。存命の危機に有る貧困の撲滅。戦争と世界各地の紛争の禁止。世界各地での戦争を恒常的戦略にしてきた先進国の戦争責任を明らかにして、それを止めさせる。

第五に、電網の一国一民族一企業の運営管理監視制御統制から、民主的国連の国際的監視管理機関に移譲させる課題。

第六に、国際的監視管理機関による軍事ロボット製造の禁止。バイオテクノロジー、遺伝子組み換え、宇宙開発、戦争宇宙空間利用の禁止、などの監視管理統制の課題。

第七に、人類意識の総和体の発展を保証し促す課題。人類知性の啓蒙とその確立の課題。学術の自治と自由、発展を保証する課題。資本主義世界支配のための学術の管理統制を止めさせる。メディアと芸術文化の自主管理および自由と発展を保証する課題。
以上の7点になるのではないだろうか。
狂気が支配する世界現状において注意するべきことは、この7点の課題を同時進行的に進めないと地球的・人類的危機から脱却できないということです。
例えば、第二の地球的自然破壊の解決課題のうち、「CO2”」問題が幾年月かけて改善したとしても、そのあいだ何百年もかけて成長した樹木をバタバタ無計画に切り倒しておいて、それと同じく樹木森林を再生しようとしたら、同じだけの何百年間単位の年月を要するのです。
森林伐採、埋蔵地下資源、海底埋蔵資源、海洋資源、農業の植民地主義的世界的分業制度の抑止(アフリカ諸国の農業基盤の未確立など)解決の課題が悪化しては、地球的自然破壊の全体的問題は解決化していないし、一段と悪化していることになるのです。
それ以上に他の7つの課題全部は、CO2 問題が好転する年月を経ても、すでに改善されず深刻化の度合いを深めて、総体として地球的・人類的危機から脱却できないでしょう。
「まずはCO2問題から解決を」とマコトシヤカに主張する、各国とその政治と政治家の偏狭(狂気に導く原理の一つ)意識では、地球的・人類的危機から脱却できないだろう。
第七の意識と認識、知性確立の課題が先行的に求められてもいるのです。


参考資料 https://note.com/growers893/n/n808c9c321b55






https://www.jiji.com/jc/article?k=20210915042037a&g=afp