「はてな」のサイト設計のことはわからないケド
国民の質の問題だだから言っても無駄かもわからないが、以下を自覚している誰かが言うべきだから一応言っておく。
未だ「古い新しい」を価値判断にしているオトナらしき者がいる。
安倍のように「好き嫌い」の価値基準で物事を判断している幼児並みの判断力より「古い新しい」の価値観の方が少年少女ぐらいの成長度合いだからマシと言えばそうなのだか、そろそろオトナの判断基準と価値観を持たないと自身の思考力と人間的成長が期待できないので、そうしてそのようなオトナ以前の大人が増えてしまえば、今の日本国民のような民度となってしまうし、それを何十年も超えられないでやがては売国国民になってしまう。
実際にそのような国民が今の自公政権とユ党の議員を選挙して、現在の売国政治体制を作っているわけだ。
さらにまたソレは、現在引きこもり世代も60歳から下へ広がり若者たちをも自閉させている原因でもあるように思えるからでもあるからだ。
だから無駄でも、心あるものは言わなくてはならないはずなのだ。
それというのも、「好き嫌い」の価値基準も、「古い新しい」を価値判断も幼児から青年少し前までの知能(思考力の事で記憶力の事ではない)の判断力で、これを超えないと大人のものにはならないからなのだ。
「好き嫌い」「古い新しい」の価値判断に共通する思考力と判断力の問題というのは、また子どもと大人を分ける問題だと言うのは、「主観と客観」の問題があるからで、この価値基準、価値判断基準へと成長させないと、大人にならないからだ。
言葉を変えれば、誰彼に社会的思考力と社会的常識的判断力が形成されずに、私という範囲のそれに留まってしまうからからだ。
客観とはどういうものか、主観とはどういうものかについては、話すと膨大な文章になるのでご自分で調べるか、手っ取り早く概略を知りたい方は、私に知らせてください。
「この世にただで動くものは風と水しかない」のですからその点は含み置いてもらい、メールでにも申込でください。
なにせ、自分と主観、他人と社会を、ヘーゲルは観念の問題として自他関係を論じ精神現象哲学を表して哲学史と人類史に名を残す偉人にしたぐらいだから、上のように間違いなく説明するだけでもそれらの予備知識がなくてはできないことなのです。
そこで分かりやすく実例で話しますと、普通の大人は学校を出ると就職して、労働に励むことになります。
そうするとそこで教わる事は、学校出たばかりのガキの自分の主観判断は自分でも他人も無視して、周りの言うことに合わせないといけなくなります。
こうして自然的に客観的思考と意識が身について行くのです。やがて誰にも注意されなくなると、知らない間に大人として成長している事になるのです。
マルクスが言うように、労働が人間を作るのですし、労働が人間を作ったのです。
原始時代の猿人が食べていくための集団の労働によって、労働が猿人から人間にさせたのです。
そのぐらい客観ということが、人間的成長にとって、決定的に重要な意味を持つのです。
疲れましたので、文章がおかしいところは後日直せれば直しますが、私がこれを言わなければならない義務は、客観的にはこのぐらいでいいはずです。