やっぱりウクライナ戦争は、遥か以前に計画された通りの展開だった。
やっぱりウクライナ戦争は計画通りの展開だった。
だが真実を見抜いている多くの論者が、この計画が最終的に何処に向かっているのか、という点を見落として、ウクライナ戦争とロシア侵略の現象を後付検証している、という範囲を超えていない。
どんな勢力が、なぜこのような手が込んだことと残虐をやらせているのか、なにを目指してこのようなことをするのか、例え仮説でも彼らの計画範囲の縛りのうちに閉じ込められて、本質を見失わせられているのでしょう。
「今を」理解するためには、それまでたどってきた過去があって、今となっているのだということが理解できない。
さらにまたその今いは、過去と結ぶとどの方向に動いて動いてきたのか、その未来方向を知らないと、やはりどんな今なのか、その方向性という性質を知ることができない。
そこには私達が歩き進む活動とまったく同じ原理がある。
歩み進む目的地や歩む目的がないと、歩む活動にならないはずなのだ。これと言った目的がないブラブラ散歩でも、「ブラブラ散歩をするのだ」という目的があってやっている。おそらく他の動物も本能的な行動でも同じではないかと思える。
というのも、そのブラブラ散歩でも、永遠にそれをやるのではなく、最終目的地の、自宅に帰るとか、何時までに帰るのだということを予め決めてあるだろう。何らかの限度や制限もあるのだ。
こうしこれから歩む未来の方向性や制限と、その目的地を想定(仮定)している。
歩く原理でも、今と過去と未来の原理でも、人間活動には始めと終わりがあるし、その結果や目的を想定したり仮定したり、決定して活動しているという共通原理があるはずだ。
まあ意思決定論だとかいうことを行動学的に説くものもあるように、この原理は歩く活動に限らず、広く行為や行動や活動、運動、仕事、行政、政治など全てに共通する原理だろう。
無意識の行為も実は脳が司令している。人間体内の様々な生理現象でも一般的に言う意識の範囲を超えて、生命「活動」の必然性(脳自体の司令で動きの始めと最後などがあって)で動い(活動し)ている。
つまり言いたいことは、それら活動の最終点を知らないと、「活動」にならないのだ。「今」も今にならないのだ。そうして過去(始まり)にもならないのだ。
だから今回のウクライナ戦争でも、それを計画し仕組んだ者たちが目指す最終地点はどこなのか、どんな所なのかを想定したり仮定したりして、それなりに決めてないと、今が計画通り十分条件と到達地点なのかも推し量ることができない。
つまりそれ(今)まで活動した現在結果だけの、成功・失敗・手付かずなどがわからない、判定評価できないわけだ。
現代人は、彼ら戦争を仕組んだ者たちのその目的地を予想(想定・仮定・決定)しなければならないのだ。
百々峰だより
ウクライナ問題の正体――アメリカとの情報戦に打ち克つために、番外3http://tacktaka.blog.fc2.com/
記事の一部
*Ukraine, It Was All Written in the Rand Corp Plan
「今ウクライナで起こっていることは、すべて3年前のランド研究所のプランに書かれていた」
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-836.html(『翻訳NEWS』2022/03/20)
問題は、その点火をいつにするかということでした。その「点火日」はほぼ決まっていたのですが、それを事前に察知したロシアが機敏に先手を打ったというのが、今回のウクライナ危機の真相ではなかったのか。私はそのように推測しています。
だから大手メディアからコロナ関連のニュースが消え、ウクライナ一色になったのは、決して偶然ではないのです。世界の支配者は、新型コロナの「恐怖化」「悪魔化」を一転して、プーチンの「悪魔化」に焦点を移すことにしたのです。
この「寺島仮説」が正しかったのかどうか、後の歴史が決めてくれるでしょう。
不完全で未定だが、もう疲れたのでここまでにする。後日書き足すことにする。