#この国は文化芸術を救えるのか 動画討論 どこまでが真面目かおふざけか?
日本「文化」と「芸実」の現状
#この国は文化芸術を救えるのか
動画討論
https://www.youtube.com/watch?v=IGwrouGjuBc
この国だけでなく、現代世界が文明の崩壊が進んでいるので、文化芸術を救えないのは日本だけではない。
つまり結論は「日本の文化芸術は救えない」ということだ。
人類文明の崩壊は地球自然の崩壊を迎えているように、世界資本主義により自然の限界を考慮せずに、各国の大企業ごと自らの利得のために、地球規模の自然開発(という自然破壊)や、埋蔵資源の採掘、海洋開発(海洋汚染)などを各企業勝手に、また無計画に進めてきていた。
資本家勝手、その資本家が所有する企業勝手、資本家たちの財界が運営する国政と国の勝手を進める世界資本主義原理では、その地球崩壊を食い止めることはできない。あるいは自由競争という勝手な行いを制限させるをことは、通常ではできない。
地球規模の自然破壊だけではなく、核兵器の競争、資本主義原理から起こす戦争、大国占有の宇宙汚染問題、ロボット機械開発(ロボット兵士やドローン兵器、労働ロボットによる労働者の職場喪失の問題など)や化学(バイオ、遺伝子組み換え生物、その兵器)、科学、学問の崩壊などの面でも、文明の崩壊を進めている。
さらに文明を構成する文化芸術についても、国民(世界的)に上のような視点と、それを捉えられるような思想が、当動画にもないように、あるいは討論の問題項目にそれらの意識が示されていないように、思考力の劣化をすすめていて、それら自らの文化芸術意識を以前から崩壊させてきている。
もっとも、それを取り巻いてある大枠には人類史的な必然性があり、それを捉えてみるなら、文明と文化の芸術の発展はルネッサンスの文化興隆(文芸復古)後、特に17世紀以降は文化的退廃に向かっていったのであって、21世紀に向かって文化の興隆と高度化へと進んできたのではない。
世界各国がそのような時代推移の大枠の中にある。
日本の場合(アジアアフリカアメリカもだが)は欧州ルネッサンスの文化的文明的影響は及んではいない。
さらに日本独自に形成されてきた、文化芸術の継承化も不十分で発展もされていない。
それらは、17・18世紀前後から21世紀の現代まで、資本主義文明(蒸気機関と機械文明、化学、電化・電子文明、コンピューターAI文明。資本主義市場経済様式《文明》)などが勃興し、その文化的な面においても19世紀末から21世紀にかけて、学術の系譜と文化芸術の系譜がヨーロッパからアメリカへ移っり、世界にアメリカ発の学問と文化芸術が波及するようになっていった。
第一次世界大戦と第二時世界大戦は、世界資本主義勢力が欧州に根付いた学術文化芸術の文明を歴史的に断ち切り、アメリカに移動させることに成功した。
こうしてアメリカ発の学問と文化芸術と呼ばれる状況がうまれた。
そのうち文化の中心に位置する学術分野では、欧州の伝統的啓蒙主義、知性的合理主義や社会主義の影響から離れて、アメリカの資本主義的科学論とその支柱となる哲学を、新カント主義とプラグマティズムに切り替え、またそこに心理学を取り混ぜた行動主義(哲学ではないが科学主義理論)などを生み出した。
さらに学術以外の文化と芸術面では、世界資本主義の代表的存在のアメリカであればこその、そのアメリカ的形式(文化的様式)が世界に波及していくという、アメリカが世界文化の中心的存在となっていった。
それらのジャンルを数えても、映画軽音楽美術ショービジネス、演劇、(ディズニー漫画アニメ)TV文化などが代表的なものとなっている。
現代ヨーロッパ文化が欧州に生き残こっているのは、クラッシク音楽、オペラ、バレイなどとなっている。
工業商業デザインもバウハウスから続いたデザイン文化(資本主義的大規模工業的、大量生産向きのデザイ、商業的均一パック商品販売)もアメリカに渡り暫く世界工業デザインの主流の位置を占めたが60年代から衰退し、「ポストモダン」と「価値観の多様化」へと拡散し主流と呼ばれるものがなくなっていった。
いっぽう服飾潮流については19世紀中頃から波及したココシャネルとその理論的支柱を与えたジンメルによる、資本主義の生産現場と市民生活の活動的衣装の、市民的生活文化思潮へと移行してきて、フォーマルな衣装は現在のヨーロッパ衣装界の首位的位置を確保するようになった。
文化的伝統がないアメリカの衣装潮流(モダン)の影響力は衰えたが、ジーンズファッションは、近代労働者向きな丈夫で活動的なズボン衣服として、世界に波及した現代を代表する大衆的衣服文化となっている。
こうした文化と芸術の思潮が世界的広がっているだろうが、しかし押しなめて資本主義の生産様式とその生活様式がひろまりつつ、資本主義の産業生産様式は人間的性質が尊重される生産様式と生活様式ではないので、その文化芸術の本質的性質も人間的普遍性が失われていく社会制度でしかない。
こうしてルネッサンス文化復興と興隆は、資本主義が進むに連れて、頽廃化せざるをえない必然性をもつものであった。
人類史的社会科学的に捉えた文化・芸術の実像と、現在の大衆音楽や視覚的映像的ジャンルなどの作者作家と当事者の自負心とは、別なところにある関係となっている。それらの錯誤差は、また諸芸術ジャンルの退廃も進めることになっている。
つまり、現代文化と芸術は頽廃化が進んでいると、認識するのが普遍的評価となる。
さらにそのような歴史段階の現在に、コロナ問題が起き、誰もが認めるように、自然崩壊と合わせた世界的文明崩壊の危機問題となっているし、経済的崩壊、商業と生活の崩壊が進んでいるだろう。
加えて、それら経済的諸関係に支えられてある文化芸術についても、崩壊が進まざるをえない。特に日本は独特な政治的劣悪な実態問題(極右安倍自公政権)があり、文化芸術の問題どころか、国民の生存自体が危うくなっているのが現実実態となっている。
文化芸術関係者自身においても、生存問題の方が重要な課題となっているだろう。
その具体的状況は、この動画の出演者各自が報告し語っている通りだ。
つまり、大状況からみても、具体状況から見てみも、現代と日本の文化芸術は救いようがないと結論せざるをえない。
まずは安倍自公極右政権が国民生活を完全補償した上で、なおかつ文化芸術も守る意思を持たせることが大切だろうし、国民のその総意に従わせる以外に、「文化芸術を救うこと」はできない。