ainomiya999’s blog

なるべく時の話題について話せたらとおもっています。

とことん共産党 ワタナベ・コウさん、ツルシカズヒコさんが日本共産党“発見の旅”でたどりついた場所

https://www.youtube.com/watch?v=C9dinxlhvSM&t=3027s

この動画で気になったことについて、意見を話しまたいと思います。
一つの表現の言葉尻を捉えて論じるようで、恐縮しますが、それは「組織には関わりたくない」という考え方についての意見です。

この組織についての考え方は、今でも若者や、一定の年齢に達した方たちにも広くあるのではないでしょうか。

動画の話にあるように、私も若いころに志位さんの青年向けに語たったパンフレットにあった「組織嫌い論」とそれに対する答えとしての組織論を読んでいますが、現代でも組織というものについて、まだまだ議論や解明、概念が不十分なように感じます。

私は唯物論の立場の議論や、現代の学術的議論については詳しく知りませんし、組織形態については「家族私有財産、国家の起源」「猿が人間になるための労働の役割」などとの理論整合性も関係するのでしょうが、複雑化する現代においては、組織論の積極的なアプローチが必要なのではないでしょうか。

そこで私見になりまが、組織論を語るときには、人間(猿状態)の群れ、集団(家族)、組織、社会、機構、国家という流れで捉え、それぞれの性質と関係を説明することが必要なのではないでしょうか。

家族も、集団の性格と組織の性格(その他)をもつ人間の集合といえるので、組織は人間と命にとって「好きか嫌い」かで判断できることでもないし、「組織と関わりたくない」といっても、すでに群れや家族集団組織、消費生活機構(組織構造体)学校、会社企業体、労組、協同組合、経済、政治、国家(組織的機構・機関体、制度という組織体・構造体など)とかに関わりを持っているのですし、それらと関係を持たずに個人が産まれてきたり、生きてはいられないのですからか、そのような意見や考え自体が錯誤だと指摘できるでしょう。

従ってまた組織についての理論的規定については、組織は人体もタンパク質と細胞の組織体ですし、人間生活と生存自体が労働関係や経済関係、法的関係、政治的関係、教育的関係、文化的関係、歴史的関係などの「組織体」と言えますし、政治、司法、制度、生物などや、文章や文法、辞書辞典なども、さらにそれらの観念と概念も、または電網世界なども「組織体」といえます。

ヒト個人と人間はそれらの集団組織と不可分にありますので、組織なるものについての規定は高度な抽象性を要することでもあると思います。

しかしそのことの上昇問題については階梯的に捉えるこで説明ができるのではないでしょうか。
また下降問題については、様々な側面との関係性と連関性があり、固定的一面的には捉え所のない性質となっていますので、そのこと自体を承認することで、説明が完結できるのではないでしょうか。

社会に広く有る「組織嫌い論・関わりたくない論」の洗脳を克服整理するために、関係者の皆さんの検討をお願いしたいと思います。

科学的社会主義の、科学を重もじる党として、そろそろ「組織」規定をしてもいいのではないでしょうか。

それはまた政治(政党・政権)の優位性を自覚しつつ、それらがあくまで措定的規定(仮定的提案)であること、従って学研に干渉したり、押し付けではなく、またそうならないよう、その原則的立場の注釈入で、加えてその党内注意喚起をして、一般的に問題提起してもいいのではないでしょうか。

補足
この意見は一般国民の個人意見ですので、共産党という大組織への「干渉」とは言えませんし、また意味内容からしても干渉ではありません。

電網環境ができて、個人が自由に意見を発信できるようになったことは、歴史的に発展的建設的に評価するべきですし、今後ともそれを否定したり、制限したり、歴史必然に抵抗したり、閉塞的に対処することはできないでしょう。

(余談になりますが、中国共産党の時代錯誤の亡霊復活現象は、めにあまります。)

後日添削あり