あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。
南部俵積み唄【青森県民謡】
https://www.youtube.com/watch?v=VCJ_lwuZS6Y
2、日本民衆の文化を継承する。
現代日本の大衆歌の文化は、恋歌や失恋歌ばかりとなった感がある。
これとは違い、おおよそ大正期まで労働歌があった。
その代表例が現代まで継承されてきた民謡だといえるだろう。
また大正デモクラシー運動を背景にして、労働者の社会的心情を唄った、労働組合などで歌われたものも忘れてはならないだろう。
しかし現在となれば、労働者の歌は残念ながら多くの国民が知るものとはなっていない。
そこにある盛衰は日本資本主義の成立とともにあった。大正期の労働歌の盛興は労働者生活養護と反戦平和など諸運動とし発展した側面と、
やはり歴史発展の資本主義勃興の必然性に伴い、封建的農民が農地から切り離されて都市と産業地帯への移住と、農民が労働者化へ移行せざるを得なくなったことに端緒があった。労働者化する前までは、人の命は封建的村落共同体のなかで、各自の命は自他関係や意識が未分化な生命共同体であった。互いが家族集団に依存し、更に各家族が村落集団に依存する関係で、各自の命が維持できる関係の中にあった。
そのために男女共の個人的意思(自己や自我)は未分化な状態であったが、資本主義社会制度により、農村から切り離された労働者は、自らの命は労働賃金によってのみ存続できるものへと変改せざるをえないものとなった。
この個人としてある自己意識の形成は、現代でも進行している最中であり、恋愛形態や婚姻形態、結婚式の様態、葬式や墓地墓、宗旨などにその封建的旧来の形が残り、「家」という形式と意識が私達個人の自己意識を規定している。つまり自己意識や自我意識が、自主的独立的主体的になっていないところがある。
こうした資本主義の意識の中で、若者たちと男女夫婦の個別的にあるはずの「愛情」の質があることになっている。
こうした社会的要因により、愛を求め、恋愛をして、失恋もして、結婚して、離婚もして、それでもなおかつ男女が求め合う関係が生まれて、現在のような恋愛や失恋の歌が望まれることになるなっている。
これここの性質や全体を流れをまとめるなれ、一面では男女の関係に愛が無いから、愛を求め続けているということができる。
ここには自己と「社会なるもの」関係の中で愛を見出さない男女が居ることが示されている。
自己と社会の重要な一面である労働場面の歌(意識)がない現代の偏重性が現れているように見える。
江差追分会主催 「魂の唄・江差追分思い出発表会」 2020/09/21
コロナ注視の江差追分コンクールの代替 中学生の部
https://www.youtube.com/watch?v=WvMBbT81c1A
公益財団法人 日本民謡協会 創立70周年記念大会
5,841 回視聴•2020/11/14 https://www.youtube.com/watch?v=35t8-bT3RAQ