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日本の子どもの精神的幸福度ワースト2位

日本の子どもの精神的幸福度ワースト2位

 

https://jp.sputniknews.com/japan/202009217789767/

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なぜ?
なぜ日本の子どもの精神的幸福度ワースト2位なのか。

 

日本の戦後、連合占領軍の総意を反映して、昭和21年の米国第一次教育使節団では、日本の民主主義建国のための民主教育とその制度体制作りを指導するものであった。

 

しかし戦後早々、ソ連中国の南進傾向と拡張主義に対抗して、米国の世界戦略も変更され、朝鮮戦争が起き、それまで占領軍が取ってきた日本民主主義普及政策が変更され、米国への日本属国化強要と、軍事化復活政策がとられるように
なった。

 

朝鮮戦争が起き、それまで占領軍が取ってきた日本民主主義普及政策が変更され、米国への日本属国化強要と、軍事化復活政策がとられるようになった。

 

世界南北対立体制への以降に伴って、米軍の朝鮮戦争対応と、反共主義諸国の再編のため日本の占領政策の転換も行われ、

 

昭和25年第2次米国教育施設団によって民主教育の悪化転換が始まった。

 

26年には単独講和・安保条約が締結され、その後は、米軍による教育委員公選挙制の干渉、民主主義教育を掲げる主要教員のレッドパージ弾圧が始まった。

 

共産党労働組合などをターゲットにした、下山総裁轢死事件や三鷹事件などの怪事件が起こされ、マスコミも加わり共産党の影響が強い労働組合や教職員組合への国民支持の打ち消し策略をおこなった。

 

それ以降教育関連の法律ができる度に、教育条件と環境の悪化が進められた。

 

教員への教育委員会による「勤務評定制」反対運動と阻止。文部省の全国学力テスト反対運動と策略の阻止ができた。

 

文部省は第二次教育使節団と日本財界の意向を受けて、教育制度をそれに沿って悪化させ、その後発生する問題も美縫的に誤魔かし、現代まで押し通してきた。

 

連合軍(実質米国)の日本統治の政治的従属策略と民主主義導入政策にも変更が起きて、第2次米国教育施設団の招聘となり、教育体制と教育の悪化が始められることになった。

 

 

第2次教育使節団が導入した教育論を形成する思想は、*プラグマティズムと心理学主義のもので、心理学主義教育、労働者の効率的「人格」形成と、

 

国家(企業)要請に黙従的に応える批判精神の封じ込め、横並び(産業ロボット的)主義などを目指すものであった。

 

したがってその教育方法は、財界大企業が求める労働者作りの要請の通り、思考する国民人格を形成する教育(愛の教育)を廃止して、暗記力と暗記量を増やす「記憶偏重教育」(洗脳)に変更させた。

 

暗記検査としての習熟度テストを増やし、受験競争と受験体制の過酷化を進めて行き、同時に思考しない愚民化、勤勉労働ロボット化、強者(企業上司経営者行政政治)追従と忍従の国民人格形成が進められて行った。

 

有識者」による何回かの教育答申も、前回答申の欠陥や成功評価などの総括もなく、ただ次々出現する教育と子どもの問題と、時代変化に相応する答申が出され続けて、その都度管理教育と記憶内容の過密化へと進められ手が付けられない現状にしてしまった。

 

現代日本のめちゃくちゃ教育は、米国が日本を植民地支配を行うため、また財界企業に黙従する日本国民とするために、愚民化させ自立化させない必要があり、その教育体制を取ったからであり、その効果がでているのだ。

 

それを証明するように、教育学から、文部科学省、大学統制、教員養成、学校制度、受験競争などの教育制度そのものが財界と米国(間接的)に支配され、日本にもまともな教育論がなく、国民の中にある教育話のように俗論教育論となってしまっているのだ。

 

その結果江戸時代の寺子屋を再評価するだとか、明治の富国強兵や大正昭和初期までの軍国教育体制の方がしっかりしていただとか、意見も出てくるしまつとなっている。

 

軍国主義的教育(洗脳)を進めた当時は、日本は独立国状態だから政府が真剣に国力増進を目指し国民皆教育に努めたために、その時代がよかったかのような俗論となるのだ。

 

教育のあり様は、それによって国民の創造力が発展して、発明発見技術開発力と発展が生まれてくる、国富と国力増進のための国家百年の経だが、独立国でなければそれを顧みない政治とその「教育」となるのが必定だろう。

 

日本国民が物事を考えられず、その場限りで楽しければいいという刹那主義などの国民人格ができて、

 

思考することを面倒がり、またそれを理屈好きだ、そういう奴は嫌いだ、という思考拒否思想がそ蔓延する状態となった。

 

が、しかし国民から進んで愚民になって行ったのではない。

 

マスコミやTVの情報伝達力は、学校教育とは別な大人たち国民の教育(洗脳)の道具である。

 

TVは勤労者国民が余暇を過ごす安価な手段ともなっているため、国民洗脳力は大きく、だからこそまた愚民化も進められてもいるのです。

 

TVやスポーツ新聞、一般新聞でも報道されている、野球、サッカー、ボクシング、プロレス、キックボクシング、K-1空手などが、国民の「いま楽しければいい」「めんどくさい理屈を捏ねる政治や経済などどちらでもいい」という国民人格作りに一役かっている。

それらはアメリGHQの映画洗脳と同様に、植民地文化政策であり、教育面の洗脳侵食策略の一つであった。

 

日本テレビや読売新聞は、GHQやCIAの意向と応援を強く受けている経営者によって作られ、そこに日本のマスコミ界やスポーツ界芸能界などに影響力をおよぼしている。(他のマスコミもそれに追従するシステムになっている)

さて、このような状態で、子どもたちのための愛の教育(ペスタロッチ、クループスカヤなどが有名)改革はどのようにしたら、進められるのだろうか?

 

答えはその問題点とそれを捉える捉え方にこそあるだろうが、上に書いた問題が当を得ていれば、そういえるだろう。

 


プラグマティズムは哲学ではなく、その哲学の統一的世界観はない。哲学より階梯が下になる思想としての、実利主義、功利主義、便宜的その場主義、対応・方法主義の思想である。

 

この思想は資本主義の「後のことは知らない、いま目の前の問題をしのげればいい、自分の利得になり、自分だけが良ければいい」という「儲け第一主義」に合致した思想として、ヨーロッパ哲学界と思想界の影で細々と生まれた。

(教育思想の支柱ともなっているので、東大卒官僚の人格がそれを反映している。)


第一次・第二次戦中に欧州知識人がアメリカへ移住することで、アメリカの主要な思想となっていったものです。

 

ホード自動車(戦闘機エンジン)に代表されるような、ベルトコンベアーと流れ作業システムの導入で、効率的・功利的・実利的・合理的に生産するために企業貢献する思想(企業思想と経営・組織・機構・政策思想、工業デザイン思想など)となっていた。

 

 

 

例えば米国は、世界電網をマイクロソフトのウインドウーズが独占支配できるように、日本開発の無料トロン先行普及に、米国の国力を掛けて圧力(日航機撃墜の噂のように)で潰した。

 

今から見ればそトロンの価値は、世界史的な意味を持っていたことが理解できるだろう。

 

米国は日本を従属国として扱い、日本が自立(自分の力で)して、世界的発明をしないように監視し、世界経済・軍事・宇宙開発などに多大な影響を与える発明発見技術開発を潰せるように、あるいは横取りできるようにしてきているのだ。

 

こうして日本に産業力が出てこないのは当たり前なのだ。

 

日本政府も「産学協同政策」などと旗を掲げても、本心から推進しようなどとはツユほども思ってはいない。

 

限りなく大学維持予算を切り詰めているのも、その証拠だ。
これが日本教育の荒廃の真の原因なのだ。

 

まともな教育学の大学教授もでてこないし、教員も養成されないし、正常な官僚もうまれない。

まともな成人も国民も生まれないし、その無茶苦茶教育の被害を受けているのが子どもたちなのだ。

 

 

以下スプトニク記事
「日本の学校は、身近な小さな世界の全体主義をかたちづくっている」 日本の子どもの精神的幸福度ワースト2位 なぜ?© AFP 2020 / Charly Triballeau
日本
2020年09月21日
最近発表されたユニセフの報告書によると、先進国と新興国38ヶ国の子どものうち、日本の子どもは身体的健康度が1位だった一方、精神的幸福度はワースト2位だった。この調査は子どもの健康、スキル、幸福についての複雑な状況を明らかにした。しかし、子どもたちのこうした体験は社会の中で孤立して存在するのではなく、彼らの暮らす社会全体に根ざしている。高度に発展した豊かな国である日本の子どもが精神的に不幸になってしまったのは、なぜなのだろうか?

ユニセフの報告書は「子どもたちに影響する世界:先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か」(原題「Worlds of Influence: Understanding What Shapes Child Well-being in Rich Countries」)という名称で、「身体的健康」「精神的幸福」「アカデミックスキルと社会スキル」の3つの項目を調べたものである。3項目総合で1位になったのがオランダであり、デンマークノルウェーがそれに続く。日本は真ん中あたりの20位、米国は36位、最下位の38位はチリだった。調査のためのデータ収集は新型コロナウイルス感染拡大前、数年にわたって行われた。
本の学校が運動量やバランスのとれた食事に大きな注意を払っていることもあり、日本の5歳から19歳の子どもの肥満率は最も低く、2016年の体重過多児、肥満児の割合はわずか14%だった。この項目ではアメリカの数値が最も高く、42%だった。アカデミックスキルと社会スキルでは日本は27位だった。
読解力と数学の基礎知識は良い結果(5位)だったにもかかわらず、友だちを作るスキルでは日本の子どもの順位は低かった。15歳の子どものうち、友だちを作るのは容易だと答えたのはわずか69%で、最下位のチリに次いでワースト2位だった。

報告書はまた、日本は対象国の中で2019年の失業率が最も低いにもかかわらず、子どもの貧困率は18.8%にも達していると指摘している。比較のために挙げると、アイスランドは10.4%、トルコは33%である。しかし、最も重要なのは精神的幸福度である。日本の15歳の子どものうち、生活に満足していると答えたのはわずか62%であり、ワースト2位だった。1位のオランダは90%、最下位のトルコはわずか53%だった。

日本が他の先進国に大きく遅れをとっている原因は何なのだろうか?経済発展の度合いでは、日本は他の多くの国よりずっと上位にあるではないか。一方で、日本の母親は往々にして子どもに対して過保護であり、子どもの成長につれて教育ママになり、子ども(主に男の子の場合に顕著)に良い教育を受けさせるためには時間も労力も惜しまない。こうした状況について、明治大学文学部准教授の内藤朝雄氏に話を聞いた。

内藤朝雄准教授:「ユニセフ(国連児童基金)は、日本の子どもの精神的幸福度は、先進38カ国中37位、つまりワースト2位であるというデータを公表した。この背景には、日本の極端で独特な集団主義の学校教育がある。日本の学校を観察した日本以外の国の人は、その集団主義教育のありかたが、軍隊に似ているという印象を受ける。

本の学校は、あらゆる生活(人が生きることすべて)を囲いこんで学校のものにしようとする。学校は水も漏らさぬ細かさで集団生活を押しつけて、人間という素材から「生徒らしい生徒」をつくりだそうとする。日本の学校は、国家の規模の全体主義ではなく、身近な小さな世界の全体主義をかたちづくっている。ただ外形的行為が同じであることを要求されるだけでなく、心をこめて、表情や涙などをふくめて、全存在が、独立した個人ではなくなり、響き合う合唱のアンサンブルのような学校の生徒らしい生徒になることを要求される。日本の学校で最も大切とされることは、勉強をすることではなく、心を一つにすることである。それを典型的にしめすのが、この動画がしめすような運動会の姿である。」

スプートニク:そうした集団主義の精神は、子どもたちの間に真の仲間関係を作り出すはずである。しかし、ユニセフも指摘しているとおり、日本の子どもたちが友だちを作ることに困難を感じているのはどうしてなのだろうか?

内藤朝雄准教授: 「このような学校生活の全体主義は、児童生徒同士の人間関係にもあらわれている。学校で、こどもたちは、いつも他人の目を気にして生きる習性を身につけさせられる。空気を読むことが、何よりも大切だという価値観を身につけさせられる。

こころを一つにすべしと、きめ細かくベタベタさせる集団主義のしくみのなかで、子どもたちは、「友だち」がいないと悲惨な境遇になるとおびえ、必死でベタベタして生きている。その、無理に無理をかさねて「友だちを作為する」こわばりの結果が、このワースト2位にあらわれたと考えられる。

私は、このような不健全な小さな全体主義ともいうべき日本の集団主義は、子どもたちを不幸にし、日本を不健全な社会にするので、やめるべきであると世に訴えている。集団主義教育をやめると、子どもたちがバラバラになってしまうという人もいるが、逆だ。日本独特の極端な集団主義教育をやめて、学校を先進諸国の普通の学校にした方が、子どもたちは、個人と個人として、気楽に「友だちになり」やすくなる。」

おそらく、理想の教育の形というものは世界のどこにも存在しない。しかし、子どもが適度な配慮と自由を与えられるようなバランスを目指すだけでも、子どもの精神的幸福には十分効果的なのではないだろうか。