ainomiya999’s blog

なるべく時の話題について話せたらとおもっています。

れいわ新選組は政党か?

 

 

れいわ新選組とは?

 

新党☆政党とはどんなものか?。

政党論メモ☆連載1

 

★前文★

 

選挙に行かない人たちの中には、マスコミの記事に惑わされたり騙されたような気持ちになって、選挙や政治に嫌気をもたれている方も多いのではないでしょうか。

特にマスコミのその都度の政局や時局の報道や、「世論調査アンケート」結果をなどを利用した分析、マコミが生み出す新党ブームなど、政治誘導記事に振た回されたり、メディアに騙されてしまうようなことが起こっているのではないでしょうか。

 

さらに選挙で自公維新など極右政党が勝つことや、彼らによって次の選挙までに不条理な政治が行われたり、道理のない法案が通ったりする度に、それらの政権党を選んだ「愚かな国民」について、多くの人が嘆くようにもなっているのではないでしょうか。

 

しかし、そのように嘆いている本人も、マスコミなどが政治の表面現象を追った記事内容に乗せられていることに気付かづにいるようにおもえます。ですからメディアが流す理屈を自身がインターネットなどでオウム返しに広めて、錯誤の騙しを広めてしまい愚かな国民を生み出す手助けをしている、という関係になっているようにも見えます。

マスコミ記事は内容の妥当不当を別にしてそのように伝播し広まっていくのでしょう。

 

特に新聞や月刊誌などを読んでいる政局通や政治意識が高いと思われている人々ほど、我知らずメディアの言論に対して敏感に反応して、それを批判するとしても、メディア論調や論旨をなぞる形で口移しに広めてしまっている、という錯誤をしているのではないでしょか。

そうして結果的に本人も国民の愚かを生み出す一因となり、また本人自身が愚かな国民の一人になってしまってるのではないでしようか。      

                 

その騙しと錯誤の重層関係の結果、国民全体が政治経験を長年重ねても、国民の政治意識の成長が阻まれ、望みのない状態となっているのではないでしょうか。

確かに何度選挙し投票しても無駄であり、その主張や議論が誤りではないことになっているのでしょう。

 

近年でもメディアが「新党」について取り沙汰すと我々の身近でもそれに振り回されるこが続いているように思えます。

 

そこでこれから政党とはどんなものかということを検討して行こうと思います。その前に誤解され易い点を前置きさせてもらいます。

 

ここで言うメディアとは、情報媒体としての学術書・マスコミ・テレビラジオ・インターネット・他の情報伝達手段が含まれる本来の情報媒体の意味です。したがって広くは風習習慣など歴史的伝播の情報も含めたイデオロギーという範疇にも入るものです。

 

さらに、すでに「メディア・マスコミに騙されている」とか「騙してる」と書いてますが、これは記者やジャーナリスト、知識人言論人など個人は、各自良心的善意で発言しているのでしょうが、その主観の考えや思いや自覚の深い浅いとは別にして、学問的な万国共通な原理の基準で政治社会の事象を長期的視点で見比べると、虚偽と言わざるを得ないことをご理解いただけるのではないかと思います。

したがってこれから述べるのは政党を例にして、それを学問的客観的に見ていき、「国民を騙している」という以外ないことを検討して行くことにもなります。

そのような意味でも本稿の主張に耳を傾けて頂きたいと思います。

 

また、これから述べるとき丁寧な言い方をしていると、文章が長めになるので高飛車に聞こえてしまうでしょうが、言い切りにさせてもらいます。

しかし言うまでもないことですが、どのような権威ある者の言論であっても、それは真理の相対関係原理からして誤りがあることは否めないのだから、如何に丁寧ないい回しにしようが、言い切り断定や高飛車ないい方にしようが、その様な真偽の相対原理というものがあるのだと受け取って頂いき、不快な感情を抑えて眉唾で読んで頂きたいと思います。

 

さらに、ネットの短文に慣らされてしまった(騙されいる)方たちには、この長がい駄文を読むのはつらいだろう。しかし人間や社会、政党など様々な言葉は、抽象的理論によってしか捉えたり見ることができないもので、短文では何の意味も持たない。

以下の長文を読んでもらっても十分なな理解をえられないだろうから、結論だけ以下にいっておく。

 

「貴方や私達は、マスコミが示す政治やフレームアップされた有能な政治家、またそれら個人が旗揚げした新党に惑わされたり、騙されたりしている。だが社会科学的に政党とはそのようなものでないことを論拠を示して説明している。そこから見ると、政治を悪くして、日本を悪くしているのはそのように錯誤している国民だ」というものです。

 

 

 

 

☆政党(論)の根本問題☆

 

★党というもの★

 

近代政党は、歴史上資本主義社会が始まってから政治的「党」ができた。

それ以前の日本では、無頼的な徒党としての武力的集団を「~トウ」と呼んだり、TVでも出てくるように盗賊集団を「〜党」などとしていた。語意としては人が集まった状態を指す。

これらの野党は大和、飛鳥、奈良、平安時代に全国各地、各地域に発生していて、互いに戦い離合集散を続けていた。

武力の強制力で一定の農地農民などを支配して、そこから租税などを強奪的に取り立てて自分達の経済力を得ながら支配地域を広げて行き、封土、封領(地)や荘園などを設けるようになっていった。

こうして徒党集団が発達していき、武装集団から武士階層が作られるように進んでいった。

もちろん教科書などの日本史にあるように、社会上層者の歴史としてみて、天皇制貴族政権・朝廷も農民などからの田祖税を強制的に取り上げるため、武力を持つ武装組織も作られて持っていた。

というより武力組織なくしていかなる政権も作ることができない。ゴウリキ(強力)こそ権力の本源的保障である。

近代国家の法文(ただの文章が)の執行実力が生まれ、政治行政の意思が外化して、実際の社会を動かす事になるのも、強力があるからである。

 

話を戻して、それら皇族や貴族階級中央政権の一機関である武力集団とは別に、その力が及ばない全国各地の農地では、武力集団(党)が地方的地域的に生まれ存続して、豪族と呼ばれるものへと発展していた。

しかし、こうして発展する小規模徒党的武力集団の成立期は明確に区切られるものではなく、時代を遡り猿の状態においても雄が敵対集団や者と集団的に戦って、自分たちのテリトリーから食敵を追い出し自分たちのメスと子ども、群れの食料と命を守ったりしていた。そのことは現在でも自然界で生息する猿の群れが、他の群と争う現象として確認できる。

 

また人間の原始時代も狩猟手段とその集団が、そのまま部族などを守る集団になったり、また不作不良などが続き部族が生存の危機に堕ちいったりすると、他の部族を侵略し食料などを略奪する武力集団へと変化させたりした。

時々当時の人骨が発掘され頭骨に鏃跡が残っていたり、腕など刀や槍で傷つき治った跡が残る骨など発見されている。

そうして部族や集落などには武力集団が常備され続けていた。

 

従ってその自然発生的な武力(党)集団の成立期を規定することは不可能である。

 

また旧石器(先土器)時代、縄文時代弥生時代、大和、飛鳥、奈良、平安時代へ続く武力集団の変遷や組織構造や機構などはここで深入り説明する対象ではないので、ここでの論の要点を言えば、それら時代と地域で発生する「党」といっても、近代の政治的政党とは性質が異なるということである。

 

★近代的政党とは★

 

近代的「政党」の発生の好例は、フランス革命の中で生まれた国民議会にあるだろう。税の値上げに反感を持つ各階層を代表する者(新興手工業商業階層、職工賃労働者階層=市民、王侯に不満な一部貴族、僧侶、農民代表)たちがフランス全土から集まった。

やがて経年的にそれぞれ各階層の利害を代表する政党が形成されていった。

このような例のように、資本主義の成立期とともに社会各「階層」の各々の利害を代表する近代的政党の姿が出現し、さらに離合集散を繰り返し政治経験を重ねるなかで、「階級」的利害を代表する近代政党が作られていった。

 

そこで、近代政党が成立するための根源的な基底条件を見い出せば、つぎのようになる。

政党が寄って立つ国家的社会的に大規模な人々の集団や、階層および階級が存在することが、政党誕生と存続に必要不可欠な条件だということになる。

 

こうして資本主義の社会が成立する過程で、大商人や手工業的な企業家や金貸し、投資家などの資本家(旧貴族でも投資などによって資本時代変化に対応できた者たちも含む。)の利害を代表する、資本家階級の政党が成立できる基盤ができていった。

その一方、資本主義社会と国家が成立する条件に不可分な集団が労働者階級であり、この階級の労働力なくして資本主義的生産は成り立たないし、資本家とその階級も存続できないし、資本主義国家そのものが存続もできない。

従って労働者階級を代表する政党も資本主義社会と国家が成立する過程に伴って生まれる条件ができていった。(*1)

これらによって資本主義国家と社会が作られることより先行して、ユートピア空想的社会主義とその思想も生まれて、さらに近代啓蒙主義と社会思想が生まれ、加えて宗教改革も進行していき、それら資本主義社会が誕生する社会的基礎ができていった。

資本家階級が議会や政府を作り、政党政治を通して国民を支配統治する民主主義思想とその議会制度構想も探求されるようになっていった。

それら資本家階級と労働者階級が生まれて、それを代表する政党が成立すのるは歴史が進む必然であり、そこから生まれた各階層と党派の流血を伴う闘争を経て、徐々に民主的議会主義や国家機関などが作られ定まって行いった。

ここで特に見逃してはならないのは労働者階級と資本家階級の利害が相対的敵対的にあるとしても、資本家階級が労働者階級を敵対的に駆逐し絶滅したとすれば、資本階級は存続できないという関係にあることである。

その一方労働者階級にとっては資本家階級が消滅したとしても、労働者階級とその党は消滅しないという関係にあること。つまり相対的敵対的な関係にあっても、労働者階級が存続する優位の位置にあるという点を見逃してはならないということだ。

 

 

 ★政党成立とそれが維持され発展(運営)できる必要条件★

 こうして政党には、その国の党が寄って立つ階級や大規模な人間集団があることが必要不可欠な条件であって、その力によって党の成立と、それが維持され発展することを可能にしている。

 

(*1)資本主義国家の成立過程に伴い資本家階級党と労働者階級の党の成立条件ができたとしても、資本家階級は利害得失の原理で自然発生的に政党が作られるが、労働者の党は自動的にできるのではない。

国情と場合によっては資本主義生産様式の隆盛期や衰滅期を通した過程の、どこかの時期で労働者党が作られることもある。

アフリカ・中近東・東南アジアなどでは、封建制以前の国状や、封建制前期の状態にあり、武装集団が地方領主となり、その封領が全土に点在した状態で、封建国家としても統一されていない地域や社会と国でありながら、すでに海外から資本主義的生産様式や社会制度が持ち込まれ、亜資本主義国家(機関)が作られ資本家階級と各地の封建領主たちの利害を代表する政党も生まれている。

 

しかし労働者階級の政党は、労働者自ら成立させなければ、発生しない。あるいは、支配階級が労働者を鎮撫的に扱うために、自らが見せかけの労働者党を策略的に作る場合もあり亜労働党も生まれる。

つまり資本主義生産と国家の成立に不可分に労働者階級が存在するといっても、その労働者階級の利害を代表する政党は、労働者階級自身の目的意識的な働きかけによってのみ作り出され、維持できるのである。

日本の先進性の特徴(*a)は、この労働者階級党が少数の知識人と労働者によって日本共産党が生まれ存続していることにある。

 

(*a)日本は資本主義革命、いわゆる近代革命が起こらず徳川幕藩体制封建制支配機構を改変し、天皇封建制に移行させた「維新」と名付けるものであり、資本主義制(資本主義生産様式の国家機構)の機構だけ改革するもので、それを生活底辺まで改革を徹底するものではなかった。そのために今現在でも封建制の残滓が強く残り、欧米に準ずるいわゆる近代化に到達していない。

しかし労働者党は、維新以後30〜50年後には生まれていて、現在でも資本主義革命ではなく封建制が強く残る行進性を持つ割には、労働者党が早い期間に生まれ、また良質な知識人の指導のもと労働者自身で誕生させたことは、日本の後進性に対象する人類史的先進性の特徴となっている。

労働者階級の利害を代表する政党は、自身(知識人の協力もあって)の目的意識的な働きかけによってのみ作ることができる。また労働者党だからと言っても、間違いを冒さないわけでもない。常に労働者の利害得失を代表できるのではないし、それは冒頭でもいったが、真実などは相対性が支配するものだから、時代的にも必ず誤りを含んでいる。

 

 

 

★支持基盤が脆弱な新党の危険性

 

資本主義社会に政党が生まれる必要条件は、現代の日本にも合致する必然的な条件であり、その階級党から外れる政党(新党)には、客観的に寄って立つ大規模な集団はないといえる。

 

日本だけでなく、いかなる国家や国と社会でも、資本家階級のように小人数だが経済社会的に大きな実力を持つ政党と、労働者階級のように大規模人間集団(の政党)があるが、それらと並ぶような他の階層や階級はない。

社会集団には農民階級、商業店主階層、漁業林業者層、知識人・文化人層、高級官僚、高級公務員、高等技術者、熟練労働者階層などがあるが、それらは大人数規模の集団でもないし、あるいは資本家階級のような強大な経済的実力や経済支配力を持った階級ではない。

農民などのように土地を所有したり、林業のように山林を所有したり、漁民のように船を所有したして生産手段を所有する資本家階級と規定できても、事実上もはや大規模金融企業資本家階級となったものとは性質が異なり区別される。

農魚民などが自らを代表する政党を作ったりしても、それを維持発展させられる条件はないのであり、それらは資本家階級党に吸収されることにならざるを得ず、それもやがて資本家階級と利害対立が起こることになり、個人的個別的に離反していくことになる。

こうして労働者党でもなく、資本家政党でもなく、社会諸階層を集めた政党を作り維持したとしても、その支持基盤は脆弱なものとならざるをえない。さらに、それに従いその党に信頼性も生まれず期待もされないし、もしこの政権が誕生するとしても、そこに安定した支持基盤がないから国民の中に不安感が生まれることも否めない。

 

 

★新党や政党が金まみれになる原理

 

そのような労働者党でもなく、資本家政党でもなく、社会諸階層を集めた政党を作り維持したとしても、階層の利害を代表する政党が生まれる条件があったり、また資本家階級によって亜労働者党が作られたとしても、資本家階級党と労働者階級党以外の政党には、その党を成り立たせる大規模集団層の基盤がないため、その党を維持する資金を提供したりする人間や集団、団体数は少ない。従ってその政党(新党)は長期間存続することは難しく、財政的には10数年で壊滅せざるを得ないものとなる。

 

だから新党がいかに崇高な理念と政策を掲げ結党されたとしても、その組織を維持するためにはその規模に合った資金が必要になり、支持基盤が軟弱な党は、得票支持者数(マスコミの誘導で増減する)は別にして、支援金を出してもらえる支援者と党員は少数にならざるを得ない。

その党の存続期間が長ければ長い分だけ、さらに議員が増えれば増える分だけ、多額の政治資金が必要になり、その新党には党員を増やす社会階層や資金力はなく、資金が不足するようになるのは必定となる。

こうして労働者や勤労者の利害を代弁したり代表するような、様々な新党が生まれても、その党は資金を援助してくれる財界や労組や宗教団体、商工会、医師会などの団体からの援助を求めることになる。またそうならざるを得ない宿命を持つ。

さらに新党の党員個人としての国会議員や地方議員にとっても、その個人的政治家がいかに清廉な初心や情熱を持っていたとしても、政治活動には選挙資金や政治資金が必要であり、それが多いに越したことはないので、大口支援者と個人的関係を徐々に強めていくことにもなる。

こうして議員生活が長ければ長いほど、またそうして政治力を持てば持つほど、配下を抱えそのために政治資金集めの活動をする政治家へと変質せざるをえなくなるのである。

 

日本における支持基盤が脆弱な新党と、自共両極にある中間政党は、徐々に金まみれになっていかざるを得なくなる。

 

 

 ★新党は、結党し運営できる支持基盤をつくれるのか。★

 

日本では、米日資本家階級の利害を代表する自由民主党と、労働者階級を代表する共産党が寄って立つ基盤を持ち、その歴史の必然を持った政党だと言える。

したがって、自民党共産党の中間に位置する政党は、本来それが誕生し維持発展できる基盤と必然性はないといえる。

ただし資本主義支配階級は、労働者階級が資本家階級より優位性を持つから、その労働者の政治的自覚を絶対的に阻む必要があるため、資本家階級が支配するメディアを利用して、自民と共産党の間に「新党」や「政党」必ず作らざるを得ない。

また必ずそれら中間政党を生み出し維持し続けなければならないのである(*2)。

 

そうして生み出される中間政党は社会的多数層の支持基盤がないために、メディアは意図的に知識人や有名人などを利用して、労働者や勤労者に宣伝し、中間政党を支持するよう扇動する。

 

メディアが政治的寵児・カリスマ性を持った者を生み出し、またフレームアップして、国民は新党作りに翻弄させられる。

しかし新党を結党する有能な者たちの個人的主観的な清廉な意思や熱意などとは別にして、また上に述べてきた社会科学的な知識と自覚の有無に関係なく、それらの新党は社会的多数層の支持基盤がないために、メディアがバックアップしている期間と範囲で国民から支持され、資本家階級などによる資金援助で維持存続できるのである。

 

それでも数年掛けて、それらの党の本質である左右と資本家階級と労働者階級、自民党共産党のあいだを振れるヌエ的な性質が徐々に顕になり、国民の支持を失ってこざるを得なくなると、再度メディアは別な新党をフレームアップし始める。

そのメディアに扇動される国民は第二、第三~の新党へ目を奪われ、意識を誘導、移動させられて、それを支持するように変えさせられる。

 

そのように社会科学の基礎的知識がない国民の意識を操作(*3)するのは簡単だから、資本家階級はメディアの大量先導力(洗脳力)を最大限利用して、思い通りの政治状況や社会状況を作りだすことができる。

 

 中間政党や新党には、自身で支持基盤をつくることはできないが、マスコミなどによって一時的に、それと同様な社会状態を作ってもらうことができる。

 

 そのマスコミの情報操作に惑わされている人々に告げれば、自身が応援する「新党」を何年間応援し資金援助するつもりなのか? さらに幾年その党を存続させれば政治公約を実現する力を持ち得るのか? 10年か20年か?自民党のように64年か?共産党のように97年か?責任を持って考え直すべきではないかと進言したい。

それを考えてみれば、その自身の騙され具合も明らかになり、メディアにいかに洗脳されているかがわかるだろう。

 

冒頭で洗脳や騙しといった所以である。

 

(*2メディアの情報伝達力は、取りも直さず、情報を脳へ移入する力であり、情報洗脳力である。もしその情報が社会大多数の労働者と勤労者および国民の利害得失に結びつく情報と、その真実を伝えていれば、それは洗脳力とは別になり、その教育力により真実と真理を重んじる、それ相応の優良な人格と国民と社会となる。

さらに社会科学・学問としての政党の規定から外れているモノを「政党」と呼ぶこと自体が、社会科学的根拠がないメディアの騙しの命名といえる。メディアが労働者党(共産党)を度外視して、それらが政党というものだと描きだし、大量にまた長期に情報注入して社会通念とすることで、国民にそう思い込ませることができ、疑うことを許さない社会ができる。その偽名は国民の政治意識の混乱を引き出す第一関門としての役割をもち、そのような騙しの根本としてある。あるいは、そうなっている。)

(*3)これを読む皆さんと、すべての人間の意識を形成するものは、情報(言葉。学校教育。マスコミなど)によって生まれているから、それらを支配し制御する者たちによって、皆さんの個人意識ができている。ただ、個人各自は夫々能力の違いが有る分だけ、意識の分量や質が異なることになっている。

 

 

政党論メモ☆連載2

 

★政党に人が集まる形ー組織論として★

 

さて政党というものと、新党の虚構性をこれ以上述べる必要がないだろう。

といっても、それ以上の理論的根拠を求める人には、以下の問題についても検討いただきたいと思う。

上に述べたことは社会科学の政党論を社会構造と構成の関係において、政党成立と維持の規定を説明したことであり、またそこから生まれる政党の成立条件とその条件がない政党の脆弱の話であった。

次にはそれを人間の性質によって政党に人が集合しそれを運営できる要件と原理についても述べてみたい。

 

 後日に続く