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イスラム教ワッハーブ派の正体

 マスコミに載らない海外記事 より転載 2018年6月11日 (月)
“サウジアラビア人が触れようとしない物さえ食べる”インドネシア人イスラム教徒: マスコミに載らない海外記事

Andre Vltchek
New Eastern Outlook 2018年5月27日 

サウジアラビア人が触れようとしない物さえ食べる”インドネシアイスラム教徒

ワシントン・ポストのインタビューで、ワッハーブ主義を世界の全ての国々に広めるよう彼の国に働きかけたのは、実は欧米だったと、サウジアラビア皇太子が発言した際、欧米のほとんど全てのみならず、エジプトやインドネシアなどの国々のマスコミもじっと沈黙していた。

 声明を読んだ人々は、リヤドからの断固とした非難を予想した。非難はなかった。空は落ちなかった。稲妻は皇太子にもポストにも落ちなかった。

 明らかに、皇太子が言ったこと全てが、ワシントン・ポストに掲載されたわけではなかったが、実際にした事は、インドネシアやマレーシアやブルネイなどの場所の政権全てを打倒するに十分なはずだ。というより、少なくとも‘普通の状況’のもとであれば十分なはずだ。つまり、もし現地の国民が、既にどうしようもないほど徹底的に洗脳されておらず、プログラムされておらず、もしこれらの国々の支配者たちが、最も攻撃的で狂信的で、儀式を重んじる(知的、精神的なものとは対照的な)形の宗教に同意したり、容認したりしていなければ。

 行間を読むと、サウジアラビア皇太子は、実際には、ソ連や他の社会主義国に対する‘イデオロギー戦争’を戦う中で、イスラム教徒が多数派の国々における、ほぼ全ての進歩的、反帝国主義、平等主義的への強い願望を破壊するための同盟者として、欧米が、イスラム教の超伝統的過激派 - ワッハーブ主義を精選したと示唆していたのだ。

 RTは、2018年3月28日ではこう報じている。

サウジアラビアが資金提供するワッハーブ主義の布教は、冷戦中、欧米の国々が、ソ連に対抗するのを支援して欲しいとリヤドに働きかけた結果始まったと、ムハンマド・ビン・サルマーン皇太子がワシントン・ポストに語った。

同紙に答えて、サウジアラビアの欧米同盟諸国が、イスラム教諸国へのソ連の浸食を阻止する取り組みとして、冷戦中、外国のモスクやマドラサ(学校)に投資するよう、サウジアラビアに促したのだと、ビン・サルマーンは述べた。

皇太子インタビューは、当初‘非公開’とされていた。ところが、サウジアラビア大使館が、後にワシントン・ポストが会談の特定部分を公表することに同意した。”

 ワッハーブ主義の流布が始まって以来、1965年以降のインドネシアや、欧米侵略後のイラクなど各国国民が、(欧米介入以前の時代)に戻り、同時に、そう遠くない昔には彼らの文化にとって非常に自然だったもの - 社会主義や、少なくとも寛容な非宗教主義に向かって前進することを妨げている無知や狂信的熱情や恐怖によって破壊され、次から次に国々がその手に落ちた。

 実際は、ワッハーブ主義はイスラム教とさほど関係がない。より正確に言えば、ワッハーブ主義は、世界の平等主義的なあり方や、社会主義に向けた奮闘というイスラムの自然な発展を遮り、頓挫させるのだ。

 イギリス人が、この運動生誕の黒幕だった。イギリス人と、それまでで最も過激で原理主義的で退行的な説教師の一人 - ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブだ。

 ワッハーブ派/イギリス同盟の本質と教義は、過去も現在も極端に単純だ。“宗教指導者が、人々に、ひどい理不尽な恐怖と、その結果としての服従を強いるのだ。この宗教のいかなる批判も許されない。教義の核心や、特にクルアーンの保守的で古めかしい解釈を疑うようなことはしないのだ。一度そういう形で条件付けされてしまうと、人々は、まずは封建思想の、そして後には、資本主義の圧制を、疑ったり批判したりするのを止める。彼らは、自国や外国のご主人たちによる、自分たちの天然資源の略奪も、まばたきもせず受け入れた。社会主義的で、平等主義的社会を構築しようというあらゆる取り組みは‘イスラムの名において’‘神の名において、容赦なく阻止される’”。

 もちろんその結果、ワッハーブ派と欧米の教理で支配されている国々で、困窮し、だまされている何百万人もの人々を犠牲に、欧米帝国主義者と、現地の卑屈な‘エリート’は、がっぽりもうけて笑いが止まらない。

 うちひしがれ植民地化された国々のごく僅かの人々だけが、ワッハーブ主義が神や人々のために仕えていないことに本当に気がついている。ワッハーブ主義は欧米権益と強欲を手助けしているのだ。

 これこそ、今まさに、インドネシアや、イラクアフガニスタンを含め欧米に征服された他のいくつかの国々で起きていることだ。

 シリアが犠牲になるようなことになれば、この歴史的に非宗教的で、社会志向の国が同様な恐ろしい方向に向かうよう強いられる。シリアの人々は十分教育を受けているので、これを良く理解している。彼らはリビアイラクに一体何が起きたかも目にしており、彼らはなんとしても彼らのような羽目になりたくないのだ。欧米と、その従僕のサウジアラビアなどが、シリア国家と国民に対してけしかけたのがワッハーブ派テロ戦士だ。

 植民地向けではなく、主として自国内用にでっち上げられた偽善的非宗教的言説にもかかわらず、自分たちの残虐で‘反民衆的’産物、サウジアラビア王国インドネシアも既に荒廃させ、破壊した概念を、欧米は賛美したり、少なくとも、あからさまに批判したりするのを拒んでいる。実際、欧米は、世界を、この二国が‘正常’で、インドネシアの場合は‘民主的’で‘寛容’だと説得しようとしている。同時に彼らは、シリア(これまでの所)のような圧倒的多数の国民が、イスラム教徒である、ほぼ全ての世俗的、あるいは比較的世俗的な国々や、アフガニスタン、イラン(1953年のクーデター以前)、イラクリビアなども、これらの国々が徹底的かつ残酷に破壊される前に、常に反感をかっている。

 サウジアラビア王国インドネシアや現在のアフガニスタンで見られる現状は、欧米による介入と洗脳の直接の結果なのだ。(魚が持ち込まれてから、有料で魚釣りをするアジアの釣り堀と良く似た概念の)いわゆる‘対テロ戦争’のために何兆ドルもの‘国防費’を正当化しながら、吹き込まれたワッハーブ派教義が、この欧米‘プロジェクト’にイスラム教の香味を与えているのだ。

 従順、服従さえもが、欧米が多くの理由で、その‘属’国や新植民地に、そうあって欲しいと願っているものだ。サウジアラビア王国は、石油と地域における戦略的位置ゆえに貴重な戦利品だ。サウジアラビア支配者は、もっとも攻撃的な親欧米外交政策を実施して、ロンドンとワシントンにいる連中のご主人を喜ばせるために尽力することが多い、。アフガニスタンは欧米が、イランとパキスタン両国を威嚇し、最終的には、過激イスラム運動を、中国やロシアや旧ソ連中央アジア共和国に送り込んで侵略することさえ可能にする、その地理的位置ゆえに‘評価’されている。1965年-66年、当初、際限のない(今や急速に減少しつつあるが) 天然資源が、途切れることなく、多くは課税されずに、北米やヨーロッパや日本やオーストラリアなどの場所に流れるようにするのを保障すべく、腐敗した超資本主義徒党を権力の座につけるため、100万人から、300万人のインドネシア人が大虐殺‘されなければならなかった’。

 率直に言って、インドネシアサウジアラビア王国のような国々には‘普通’なものは皆無だ。少なくとも、ある種、名目的な‘平常’に戻すには、実際何十年もかかろう。何世代もかかる可能性が高い。たとえ、すぐにその過程が始まったとしても、欧米は、それが終わる頃には、これらの国々の天然資源はほとんど全て無くなることを願っている。

 だが、この過程は始まってさえいない。知的停滞と抵抗の欠如の主な理由は明白だ。インドネシアサウジアラビア王国のような国の国民は、自分たちを取り巻く残酷な現実が見えないように条件付けをされている。彼らは洗脳され‘宣撫されている’。社会主義は、無神論に等しく、無神論は悪で違法で‘罪深い’と彼らは教え込まれている。

 それ故に、イスラム教は欧米とサウジアラビアデマゴーグによって改変され、進歩と公正と平等主義的な世界のあり方に対する‘戦闘に派兵’されているのだ。

 この変種の宗教は、欧米帝国主義、残酷な資本主義や、インドネシアを含め、それが吹き込まれた国々の知性や想像力の崩壊を悪びれることなく擁護している。欧米は、これと引き換えに、徹底的な腐敗、社会福祉の奇怪な欠如、最初はインドネシア人自身に対し、そして次に、東チモールの人々に対して、そして今日まで、無防備なパプアの男性、女性や子供に対して行われた大虐殺やホロコーストを容認している。欧米は‘寛容’なだけではない - 欧米はこうした虐殺や絶滅作戦に直接参加し、最も卑劣な形のワッハーブ派テロと教義を世界の全ての国々に広めるのにも参加している。それも全て、何千万人ものワッハーブ主義信者が、毎日モスクを満たし、深く考えたり、内省したりせずに、機械的儀礼を行っている間に。

 ワッハーブ主義は機能する - ロンドンとニューヨークに本社を置く採掘企業や銀行のために機能する。支配者と‘属’国内のインドネシア‘エリート’のためにも非常に効果的に機能する。

 パキスタン出身のロンドンを本拠とする優れたイスラム学者ジアウッディン・サルダルは‘イスラム原理主義’が、かなりの程度、欧米帝国主義と植民地主義の結果であることに何の疑問も持っていない。

 我々が数年前にした会話の中で、彼はこう説明した。

イスラム教徒と欧米との間の信頼関係は実際、破壊されました… 植民地主義は、イスラム諸国や文化の破壊だけでなく、遥かに大きな損害を与えたことを認識しなければなりません。それは、イスラム文化の知識と学習、思想と創造性の弾圧と最終的な消滅の上で、重要な役割を演じたのです。植民地化の出会いは、‘ヨーロッパ・ルネッサンス’と‘啓蒙主義’の基盤となり、この知識と学習を、イスラム社会からも歴史そのものからも根絶することで終わったイスラム知識と学習の横領から始まりました。物理的根絶 - 学びの場を破壊し、閉鎖し、ある種の先住民族の知識を禁じ、自国の思想家や学者を皆殺しにするのと - 欧米文明の歴史に、他の文明のあらゆる些細な歴史が包含されるよう歴史を書き換えの両方で、連中はそうしたのです。”

“その結果、イスラム文化は自分たち自身の歴史から切り離され、多くの深刻な結果を招きました。例えば、イスラム科学に対する植民地的弾圧により、イスラム社会から科学文化が排除されることになりました。全て、宗主国に対する依存と遵守と服従を伝授するように作られた政権、法律、教育や経済の新体制を導入することで行われたのです。イスラム科学と学習の衰退は、イスラム社会の全般的な経済的、政治的腐敗と退廃の一面です。イスラム教は、ダイナミックな文化や全人的な生き方から、ただの言辞に変えられてしまいました。イスラム教教育は袋小路、のけものへの片道切符となりました。これがイスラム文明の概念的な衰退を招いたのです。つまり、イスラム社会を形作り、方向性を与えていた概念が、実際のイスラム教徒の日常生活から切り離され、我々が現代のイスラム社会で見るような一種の知的行き詰まりに至ったと私は言っているのです。欧米の新植民地主義が、この体制を永続させています。”

 インドネシアでは、1965年の欧米が支援した軍事クーデター後、インドネシア共産党(PKI)を破壊し、過激な市場本位の親欧米政権を権力の座につけ、事態は恐ろしい予測可能性と一貫性と速度で悪化しつつある。

 1965年以後、欧米が据えたファシスト独裁スハルトは‘イスラム教には懐疑的’だと言われ、彼は実際彼の群島全ての主要宗教を、極めて正確に、致命的効果をあげて利用した。彼の市場本位専制中、全ての左翼運動や ‘-主義’は禁止され、大半の進歩的な形の芸術や思想も禁じられた。中国語は非合法化された。無神論も禁止された。インドネシアは急速に地球上最も信心深い国の一つとなった。

 PKI党員を含め、少なくとも百万人が残虐に大量虐殺された。二十世紀の最も恐ろしい大虐殺の一つだ。

 PKI党員を含め、スハルト将軍のファシスト独裁は、政治目的のため、イスラム教カードを良く利用していた。John Pilgerの著書“The New Rulers of The World”にはこうある。

“1965年-66年大虐殺で、スハルトの将軍たちは共産主義者や誰であれ邪魔になる人々を攻撃するのにイスラム主義者集団を使うことが多かった。パターはこうだ。軍が政治権力を行使したい時には、宗派抗争のせいにして、軍による避けられない‘弾圧’を正当化するのに、いつでも、イスラム主義者の暴力行為や妨害を利用するのだ”

 残忍な右翼独裁制と過激イスラム教間の協力の‘好例’。

 スハルト辞任後、一神教宗教の奇怪な原理主義的解釈に向かう傾向は続いた。サウジアラビアと欧米が支持し、後援するワッハーブ主義は、益々重要な役割を演じている。過激右翼の共産主義中国元亡命者や連中の子孫が説教するキリスト教もそうだ。主にスラバヤで、しかし他の場所でも。

 インドネシアは、スカルノ大統領指導下の非宗教的で進歩的な国から、次第に益々過激に時代遅れで頑迷なワッハーブ派風/キリスト教ペンテコステ派国家に成り下がった。

 多くの人々が憲法クーデターと考えている時期に、インドネシア大統領として辞任を強いられた進歩的イスラム聖職者で、明らかに隠れ社会主義者の、アブドゥルラフマン・ワヒド(インドネシアでは、あだ名のグス・ドゥールで知られている)が公表を前提に、考え方を聞かせてくれた。

“最近、大半のインドネシア国民は神のことを考えたり気にかけたりしません。彼らは儀式に従っているだけです。もし神が降りてこられ、彼らにそのイスラム解釈は間違っていると言っても、彼らはこの形のイスラム教を守り続け、神を無視するでしょう。”

 ‘グス・ドゥールは、軍と親欧米エリートによるとあらゆるトリックも、しっかり見抜いている。数ある中でも、2003年、ジャカルタのマリオット・ホテル爆撃は、インドネシア治安部隊が組織し、後に、今に至るまで‘複数政党民主主義’に見せかけられている親欧米軍事政権の政治ボスに与えられた命令を実際実行しただけのイスラム主義者のせいにされたものだと彼は教えてくれた。

 インドネシアでは宗教に対する極端な絶対服従ファシスト資本主義体制や欧米帝国主義や、そのプロパガンダへの盲従をもたらしている。創造性と知的多元主義は徹底的に一掃された。

 世界で四番目に人口の多い国インドネシアに、現在国際的立場にある科学者、建築家、哲学者や芸術家は皆無だ。経済は、もっぱら、インドネシアの、スマトラインドネシア・ボルネオ(カリマンタン)や残虐に占領されたパプア西部などの広大で、かつて原始のままだった部分の天然資源の抑制されない略奪によって支えられている。環境破壊の規模は途方もない。まさにこれを私は二本のドキュメンタリー映画と本にまとめようとしている。

 被害者の間でさえ、事態の認識は最小か、全く存在していない。

 その富、個性、文化や未来が奪われた国では、今や宗教が最も重要な役割を演じている。大多数の人々にとっては他に何も残されていない。虚無主義や冷笑や腐敗や暴行が、敵対するものがないまま支配している。都市には劇場も画廊も映画館も無く、公共交通も歩道さえもなく、緑樹や公園がほとんどない‘市場’に捨て去られた巨大な都心では宗教が難なく空洞を埋める。市場本位志向で強欲で、それ自体後退的なので、結果は容易に予想できる。

 スラバヤで、南米のテレビ局TeleSur向けに制作していた私のドキュメンタリー映画(資本主義に生きたまま食われるスラバヤ)用の場面撮影中、モールで、何千人もの人々が、全くの催眠状態で、叫び、目を天井に向けているプロテスタントキリスト教徒の巨大な集会に出くわした。女性の説教師がマイクに叫んでいた。

“神は裕福な人々を愛します、それが彼らが裕福な理由です! 神は貧しい人々を嫌います、それが彼らが貧しい理由です!”

 フリードリヒ・ハイエクフリードマン、ロックフェラー、ワッハブやロイド・ジョージを足し合わせても、彼らの‘理想’をより正確な形で定義できまい。

 サウジアラビア皇太子は、ワシントン・ポストの素晴らしい画期的インタビューで、正確には一体何を言ったのだろう? そして、それがインドネシアのような場所に、一体なぜそれほど関係があるのだろう?

 要するに、彼は欧米が、サウジアラビアに、イスラム神学校とモスクを建設して、‘属’国を益々信心深くするよう頼んだと言ったのだ。彼はこうも言った。

イスラム教は良識があり、イスラム教は単純だと私は思うが、人々がそれを乗っ取ろうとしている。”

 人々? サウジアラビア国民自身? インドネシアのような場所の聖職者? 欧米支配者?

 イランのテヘランで無数の宗教指導者と様々な問題を話し合っていた際、再三こう言われた。

“欧米は全く新しい奇妙な宗教を作り出すのに成功し、それを様々な国々に吹き込んだ。連中はそれをイスラム教と呼ぶが、我々には認められない… あれはイスラム教ではない、全くイスラム教ではない。”

 2018年5月、インドネシアで、非合法化されたテロ集団のメンバーが刑務所で暴動を起こし、人質をとり、看守を残虐に殺害した。反乱か鎮圧された後、いくつかの爆発が東ジャワを襲った。教会や警察署が炎に包まれた。人々が亡くなった。

 攻撃を実行するのに、殺人者たちは、自分たちの家族、子供たちまで利用した。犯人連中は実際は、逮捕され、ダマスカスにより、自分たちの巨大で混乱した国に強制送還されたシリアに送り込まれたインドネシア人戦士 - テロリストや殺人者に触発されていた。

 シリア国内で戦った多くのインドネシア人テロリストたちは今や本拠地に戻り、国民同胞を刺激し、‘触発’している。過去 - アフガニスタンソ連政府に対して戦ったインドネシア人聖戦幹部が後に帰国し、ポソやアンボンやインドネシアの他場所で、何百人も何千人も殺害した過去と同じ状況だ。

 インドネシア人過激派は、アフガニスタンで、シリアで、フィリピンで、さらに他の場所で欧米の戦争を、外国人部隊兵士として戦って、世界的に有名になりつつある。

 彼らの国内での影響力も増大しつつある。いかなる社会改革、まして社会主義改革など、公に言及することは今や不可能だ。集会は解散させられ、参加者は殴打され、国民の代表(国会議員)さえ、共産主義が依然政権によって禁止されている国で、“共産主義者”だと非難され、脅されている。

 進歩派で非常に人気の高いジャカルタ州知事アホックは、まず選挙で負け、次にあきらかに、でっちあげ容疑の“イスラムを侮辱した”かどで、裁判にかけられ、投獄された。彼の主な罪は - ジャカルタの汚染した河川を清浄化し、公共交通ネットワークを構築し、普通の人々の暮らしを良くしたことだった。少なくとも、ワッハーブ主義や欧米グローバル政権の視点からみて、これは明らかに‘非イスラム’だ。

 過激派インドネシアイスラム教徒は、今では恐れられている。対抗する相手は皆無だ。ほぼ誰も、あからさまに、あえて批判しようとしないので彼らは勢いを得ている。彼らは間もなく、社会全体を制圧し、抑圧するだろう。

 欧米では‘政治的公正’が利用される。当今では、国民やその‘文化’を‘尊重して’インドネシアサウジアラビア風の‘イスラム教’を批判するのは‘失礼’なのだ。実際には‘守られている’のは、サウジアラビアインドネシア国民ではない。守られているのは、欧米と、その帝国主義政策だ。人々と、イスラム教の本質とに対して使われている政策と操作だ。

 ワッハーブ派/欧米の教義が益々強くなる中、インドネシアに残された森は燃えつつある。インドネシアは、欧米の多国籍企業や、自国の腐敗したエリートによって、文字通り、略奪されつつあった。

 インドネシアの宗教的ファシスト政権と欧米帝国主義は手を携えて前進している。しかし前進は - どこに向けてなのか? インドネシア国家の完全崩壊に向かう可能性が一番高い。あらゆるものが伐採され採掘され尽くした後、間もなくやってくる窮状に向かって。

 ワッハーブ主義がイギリス帝国主義者や略奪者と協力して行進していた時と変わらない。Exceptサウジアラビアはfound巨大油田、自らを(というか、貧者は依然現地で惨めな生活をしているので、少なくとも彼らのエリートと中流階級を)維持するための豊富な石油と 連中のbizarre、イギリスが着想を与え、資金提供をしているイスラム教解釈。

 この教義の犠牲になったインドネシアや他の国々は現在も未来もそう‘幸運’ではあるまい。

 サウジアラビアムハンマド・ビン・サルマーン皇太子が公式に発言し、状況を明らかにしたのは素晴らしいことだ。だが一体誰が耳を傾けるだろう?

 インドネシア国民にとって、彼の声明は遅すぎた。彼らの多くは、目を開かず、反乱も、革命もおこさない。彼が一体何を言ったのかを理解するためには、少なくとも、インドネシア史、世界史両方の多少の基本的知識が必要で、少なくとも論理的に考える多少の能力も必要だ。破壊的な帝国主義の抱擁によって押しつぶされたことに気がついた国々では、この全てが酷く欠けている。

 元インドネシア大統領アブドゥルラフマン・ワヒドは正しい。“もし神が現れ、語っても… 人々は神に従うまい”

 インドネシアワッハーブと資本主義教理と‘この全てを手配した’欧米帝国主義に従い続けるだろう。彼らは、この先ずっと、正しいと感じ、沈黙を満たし、周囲で一体何が起きているのか考えないため、疑問を抱かないため、聞き慣れた北米の言説をがなり立て続けるだろう。何の疑問もないだろう。何の変化も、何の覚醒も、何の革命もないだろう。

 最後の木が倒されるまで、最後の川や小川が汚染されるまで、人々に残されたものが何もなくなるまで。完全に、絶対的に服従するまで。あらゆるものが黒と灰色に焼き尽くされるまで。あるいはそうなれば、ごく僅かの小さくささやかな覚醒や抵抗の根が育ち始めるだろう。

 アンドレ・ヴルチェクは哲学者、作家、映画制作者、調査ジャーナリスト。彼は、Vltchek’s World in Word and Imagesを制作しており、革命小説『Aurora』や他の本を書いている。オンライン誌“New Eastern Outlook”への独占寄稿。

記事原文のurl:https://journal-neo.org/2018/05/27/indonesian-islam-eat-what-even-saudis-would-not-touch-anymore/