ainomiya999’s blog

なるべく時の話題について話せたらとおもっています。

「人間は進歩しない」だって?????

あるブログで次のような引用文を見た。


「 私は、人類は進歩しないものだと思っています。進歩しないで変化してゆくものだと思っています。職を求める為に働き、恋に喜び、失恋に泣き、友と語り、嫌な奴と働き乍ら、一人一人は成長してゆきますが、人間そのものはメソポタミアの文明開化以来同じことをくり返しています。
 しかし科学は進歩します。日進月歩、昨日のものは無価値です。科学技術の進歩は生活を変えます。革新的な技術の発達の中で、人間は人間全体の発展進歩だと錯覚して、ボケてゆくのです。営々として生きる本来の人間の姿を忘れてゆくのです。」


ブログの主はこの意見に同調的で、現代人への警句ではないかと言っています。



そこで私が感じ思ったことを述べたいと思う。

まず感じたのは、よくある考え方だと思うということだった。
またよく耳にしたり、読んだりする意見だと思った。

まあそれだけ世間に出回っている、いわば俗論というやつではないだろうか。



しかし頭が痛い。いまは21世紀だぞ~。

このような「理論」の持ち主は、キリスト教原理主義者のように世界と人間は神が創造したのだと信じている人なのだろうか?

それとは違い現代の教育を受けている者は、生物としての人間の始原(アメーバー状態)を知っているだろうし、猿状態から猿人に、さらに類人猿となり人間へと「変化」し「発展」して、現代の文明(器機の発明などによって生み出される生産様式の文化・芸術など)へと発展してきていることを知っているだろう。

従って結論は「人間は変化し発展する」し、そうして「人類と文明は発展する」ということだ。

このような理の当然なこととは反対に、上のような俗論がまことしやかに吹聴され、「そうか~それは一つの意見だね」などと認め、半分でも容認して信じている状態だからこそ、人類はなかなか発展しないのだろう。

このような考え方が根拠のない俗論や迷信や差別や決め付けなどを生み、人間の考え方を歪めて合理的科学的な考え方をする人類へと進むのを阻むことになっているのだろう。

中世ヨーロッパで神学の迷信と非合理主義と神秘主義が支配していた世紀は 、例えば裁判で争う両者を水中に鎮めて先に苦しくて浮いてきた方だとか、先に死んだ方だとかが神の啓示した罪人だ、などという考え方が支配していた社会と世界でした。

つまり人類史的には人間性が退行し、理性が眠り込む世界(~14世紀)であったのです。

その人間精神の退廃から抜出すためにルネッサンス人間性人道主義復興運動)が望まれるようになり、キリスト教がヨーロッパ世界を支配る状態を変化させることになっていったのです。

現代人は歴史の教訓を受け止める必要があるのではないでしょうか。
そうでないと現代の退行と頽廃文明から抜出すことはできないっでしょう。






さらに、注意していただきたく補足するなら、

16~18世紀に近代資本主義発生し、そこから顕在化して現代まで続く「万人の万人に対する闘争」という原理は、欲望充足のために闘争をする人間の動物的本性と動物的意識や精神を生み出すものとなりました。

今後の未来社会で生産性が高度に発達して人間の基本的欲望が保障されるようになると、現在あるような商品を我先に争って自分のモノにする必要性はなくなり、金儲けすることも意味がなくなり、人間の動物的本性と動物的意識や精神、考え方を変えさせることになっていきます。

つまり人間の性格や人格をも変えて、「人間そのものはメソポタミアの文明開化以来同じことをくり返」すのではなくなるのです。

かね・生活・労働・余暇・趣味・恋・失恋・喜び・泣き・友・語り・愛・家族・母性・男せい性・女せい性・・・・・たくさんの考え方や、そこから変化する人間の性質が変わって行き本当の人間性が開花するわけです。

今後AIが爆発的に発展すると、既存の産業ロボットや工作機械、工場生産、自動運転トラック輸送などで、「人間の基本的欲望が保障されるようになる」のも早い(百年とか)かもしれません。


さらに、まだ現在では想像もできないでしょうが、人間の外観さえ変化させるかもしれないのです。

というのも永い人類史では、始原から視て単純な真正細菌という生物状態からアメーバー状態、魚類状態へ、さらに爬虫類のような水陸両棲生物へ、さらに鼠のようなゲ歯類、小型さる、猿・・・・へと人間の姿た形が変化してきたように、現在あるような人間の姿がこれからの未来で変わる可能性もあるということ。

結論 人間は進歩するのであり、人間は進歩しないなどという意見や考えは誤りである。
人類が変化発展するのだから当たり前だけど。